'64年に建設され、最近ではニューヨーク・メッツの本拠地球場として使用されていたシェイ・スタジアムが取り壊される前に行われた、ビリー・ジョエルの最終公演をWOWOWで見ました。パンパンに膨れた顔と体のビリーでしたが、冷徹さと優しさをたたえた眼差しは当時のままで、70年代後半から80年代前半にかけての曲は少しも古びてなく、当時の彼の曲のオリジナリティとレベルの高さを再認識しました。また『New York State Of Mind』でトニー・ベネットが現れたのにはびっくりし、つい涙してしまい、エンディングでも、ポール・マッカートニーが現れて『I Saw Her Standing There』を歌い、その後ビリーが『私を野球に連れてって』を演奏した後、『ピアノマン』を歌ったところでも、やはり涙してしまいました。ブッシュに象徴されるアメリカとは正反対の、知的でリベラルで傷つきやすく、また希望にあふれているニューヨーカー、そしてヴィレッジ・ヴァンガードで過ごした夜のことが思い出されもしたのでした。
さて、内田樹さんの'03年作品『疲れすぎて眠れぬ夜のために』を読みました。
内田さんと共通していると思ったのは、所有しないことが好きだということ(私は「清貧」という言葉が好きだったりします)、なるほどと思ったのは、欲望の充足ラインを低めに設定しておけば、すぐに「ああ、なんという幸せ」という気分になれるということ、フロンティア時代のアメリカ西部では、男性の数に比べて女性が圧倒的に少なく、女性に恵まれない男性が多く出たことから、「女なんてろくなもんじゃない、男同士の友情が一番なんだ、女が選ぶ男は、ろくな男じゃない。女はいつも『間違った男』を選ぶ。ほんとうの男は、女に選ばれることなく死んでゆく」というストーリーラインをハリウッド西部劇が取ったこと、敗戦後の高度経済成長を背負ったのは、明治20年代、30年代生まれの人だったこと、その世代の人たちはほとんど皆従軍経験があって、戦場や空襲で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていたので、その悪夢を振払うため、「戦後民主主義」というもう一つの夢を紡ぎ出したということ、御家人は徳川の直参でしたが、この御家人になるには御家人株というものを買えば農民でもなれたということ、人を殴る時というのはただ憎いから殴るのであって、正当な理由などないということなどでした。
特に最後のものは、塾の教師をしていた時代に理由をつけて生徒をビンタしていたことがあったので、身につまされました。今までの内田さんの本と共通する部分の多い本ですが、新たに学ぶこともあったと思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
さて、内田樹さんの'03年作品『疲れすぎて眠れぬ夜のために』を読みました。
内田さんと共通していると思ったのは、所有しないことが好きだということ(私は「清貧」という言葉が好きだったりします)、なるほどと思ったのは、欲望の充足ラインを低めに設定しておけば、すぐに「ああ、なんという幸せ」という気分になれるということ、フロンティア時代のアメリカ西部では、男性の数に比べて女性が圧倒的に少なく、女性に恵まれない男性が多く出たことから、「女なんてろくなもんじゃない、男同士の友情が一番なんだ、女が選ぶ男は、ろくな男じゃない。女はいつも『間違った男』を選ぶ。ほんとうの男は、女に選ばれることなく死んでゆく」というストーリーラインをハリウッド西部劇が取ったこと、敗戦後の高度経済成長を背負ったのは、明治20年代、30年代生まれの人だったこと、その世代の人たちはほとんど皆従軍経験があって、戦場や空襲で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていたので、その悪夢を振払うため、「戦後民主主義」というもう一つの夢を紡ぎ出したということ、御家人は徳川の直参でしたが、この御家人になるには御家人株というものを買えば農民でもなれたということ、人を殴る時というのはただ憎いから殴るのであって、正当な理由などないということなどでした。
特に最後のものは、塾の教師をしていた時代に理由をつけて生徒をビンタしていたことがあったので、身につまされました。今までの内田さんの本と共通する部分の多い本ですが、新たに学ぶこともあったと思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)