さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず8月11日に掲載された「退場相当案件」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「席に着くなり「でかいな、やっぱり」。(メダルを)持ちますかと問われ「せっかくなので、かけてちょうだい」(メダルをかむ)。さらに…「体つきはもう一人の昔からおるピッチャーの…」「体は割と小ぶりに見えるけど、こうやって見えるとでかいでね」「どえらい、かわいいお嬢さんだからびっくり」「女のソフトボールやっとるやつは中学生でもみんななんとなく色が黒くて」「ええ旦那をもらって。旦那はええか。恋愛禁止かね」「びっくりしました。テレビのたくましい雰囲気と、えらいキュートな雰囲気と」
以上、東海テレビが七日に公開した、選手訪問時の河村たかし名古屋市長の発言の一部である。
女子選手の容姿に何度も言及する。結婚や恋愛を話題にする。相手の持ち物を口に入れる。セクハラとパワハラで完全にアウトである。その場で拒否すればよかった、なんていうのは無理。彼女の立場で考えれば、笑顔で耐える以外にない。だからこそ、それはハラスメントなのだ。
メダルの交換で幕引きしちゃダメだろう。五日には名古屋市議会四会派(自民・名古屋民主・公明・共産)が議員団長の連名で市長に「明確なけじめ」を求める「抗議ならびに要請書」を、減税日本は「謝罪を求める要望書」を提出している。辞職勧告決議に値する案件。議会の見識も問われている」。
また、8月18日に掲載された「ほんとの姿は?」と題された斎藤さんのコラム。
「十五日、米軍が撤退したアフガニスタンの首首都カブールをタリバンが制圧した。日本のメディアは悪夢が復活するといわんばかりの書きようだ。
みなが恐れるタリバンとはどんな組織なのか。参照すべきは現地で長く活動してきた故・中村哲さんの言葉だろう。
2001年、米国がアフガニスタンを爆撃した直後のインタビューで中村さんは答えている。
「日本の論調では、ひと握りの悪の権化タリバンが力をもって罪のない民衆を抑圧するという図式が成り立っていたわけですけど、それはちょっと違うんです」
タリバンはソ連撤退後のアフガニスタンに平和と秩序をもたらした地域集団の集合で、人々は歓迎していた。そこに英米軍が侵攻してきてグチャグチャにされた。それが現地の庶民の感覚で、女性に教育を受けさせないといってもカブールには何十もの女学校があって「かなりの規制は緩んでいたんです」。西側の報道がいかに一面的か、目が覚める思いがする。
02年1月号から9回に渡って行われたこのインタビュー記事は、現在ロッキング・オンのウェブサイトで公開されている(「中村哲が14年に渡り雑誌『SIGHT』に語った6万字」。)
二十年後のいまもワシントン発の情報だけで判断はできない。平和を乱したのは誰だったのか。いまこそ考えるべきだろう。」
そして8月15日に掲載された「入館行政の人権侵害」と題された前川さんのコラム。
「名古屋の入館施設で亡くなったウィシュマ・サンダマリさん。監視カメラ映像を見て衝撃を受けた妹さんたちは「姉は動物のように扱われ殺された」「入管は人の道を外れている」と訴えた。
外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由。1965年に池上努という法務官僚が自著で言い放った言葉だ。入管行政における人権侵害は再三指摘されたが、日本政府はほとんど無視してきた。日本政府がこれほどまでに外国人の人権を蔑(ないがし)ろにするのはなぜなのか。その答えは日本国憲法の制定の経緯の中に潜んでいる。
GHQ草案では「法の下の平等」は「一切の自然人」を対象といsていた。「外国人は平等に法律の保護を受ける権利を有する」という内外人平等の規定もあった。しかし日本政府の憲法改正案では「法の下の平等」の対象が「すべて国民」と書き直され、内外人平等規定は削除された。衆議院の審議では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という条文が加えられ、人権保障における日本国民と外国人の区別が明示された。人権が「国民の権利」にすり替えられたのだ。その背景には、日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓(ざんし)があった。それは今も日本人の潜在意識に根深く残っている。この観念を根絶しない限り外国人への人権侵害は続くだろう。」
どれも一読に値する文章だと思います。
まず8月11日に掲載された「退場相当案件」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「席に着くなり「でかいな、やっぱり」。(メダルを)持ちますかと問われ「せっかくなので、かけてちょうだい」(メダルをかむ)。さらに…「体つきはもう一人の昔からおるピッチャーの…」「体は割と小ぶりに見えるけど、こうやって見えるとでかいでね」「どえらい、かわいいお嬢さんだからびっくり」「女のソフトボールやっとるやつは中学生でもみんななんとなく色が黒くて」「ええ旦那をもらって。旦那はええか。恋愛禁止かね」「びっくりしました。テレビのたくましい雰囲気と、えらいキュートな雰囲気と」
以上、東海テレビが七日に公開した、選手訪問時の河村たかし名古屋市長の発言の一部である。
女子選手の容姿に何度も言及する。結婚や恋愛を話題にする。相手の持ち物を口に入れる。セクハラとパワハラで完全にアウトである。その場で拒否すればよかった、なんていうのは無理。彼女の立場で考えれば、笑顔で耐える以外にない。だからこそ、それはハラスメントなのだ。
メダルの交換で幕引きしちゃダメだろう。五日には名古屋市議会四会派(自民・名古屋民主・公明・共産)が議員団長の連名で市長に「明確なけじめ」を求める「抗議ならびに要請書」を、減税日本は「謝罪を求める要望書」を提出している。辞職勧告決議に値する案件。議会の見識も問われている」。
また、8月18日に掲載された「ほんとの姿は?」と題された斎藤さんのコラム。
「十五日、米軍が撤退したアフガニスタンの首首都カブールをタリバンが制圧した。日本のメディアは悪夢が復活するといわんばかりの書きようだ。
みなが恐れるタリバンとはどんな組織なのか。参照すべきは現地で長く活動してきた故・中村哲さんの言葉だろう。
2001年、米国がアフガニスタンを爆撃した直後のインタビューで中村さんは答えている。
「日本の論調では、ひと握りの悪の権化タリバンが力をもって罪のない民衆を抑圧するという図式が成り立っていたわけですけど、それはちょっと違うんです」
タリバンはソ連撤退後のアフガニスタンに平和と秩序をもたらした地域集団の集合で、人々は歓迎していた。そこに英米軍が侵攻してきてグチャグチャにされた。それが現地の庶民の感覚で、女性に教育を受けさせないといってもカブールには何十もの女学校があって「かなりの規制は緩んでいたんです」。西側の報道がいかに一面的か、目が覚める思いがする。
02年1月号から9回に渡って行われたこのインタビュー記事は、現在ロッキング・オンのウェブサイトで公開されている(「中村哲が14年に渡り雑誌『SIGHT』に語った6万字」。)
二十年後のいまもワシントン発の情報だけで判断はできない。平和を乱したのは誰だったのか。いまこそ考えるべきだろう。」
そして8月15日に掲載された「入館行政の人権侵害」と題された前川さんのコラム。
「名古屋の入館施設で亡くなったウィシュマ・サンダマリさん。監視カメラ映像を見て衝撃を受けた妹さんたちは「姉は動物のように扱われ殺された」「入管は人の道を外れている」と訴えた。
外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由。1965年に池上努という法務官僚が自著で言い放った言葉だ。入管行政における人権侵害は再三指摘されたが、日本政府はほとんど無視してきた。日本政府がこれほどまでに外国人の人権を蔑(ないがし)ろにするのはなぜなのか。その答えは日本国憲法の制定の経緯の中に潜んでいる。
GHQ草案では「法の下の平等」は「一切の自然人」を対象といsていた。「外国人は平等に法律の保護を受ける権利を有する」という内外人平等の規定もあった。しかし日本政府の憲法改正案では「法の下の平等」の対象が「すべて国民」と書き直され、内外人平等規定は削除された。衆議院の審議では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という条文が加えられ、人権保障における日本国民と外国人の区別が明示された。人権が「国民の権利」にすり替えられたのだ。その背景には、日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓(ざんし)があった。それは今も日本人の潜在意識に根深く残っている。この観念を根絶しない限り外国人への人権侵害は続くだろう。」
どれも一読に値する文章だと思います。