山田火砂子監督の2011年作品『大地の詩 ━留岡幸助物語━』をDVDで観ました。
パンフレットの「物語のあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「幼くして商家の養子になった幸助は、ある日、金持ちの武士の子に一方的に殴られ、耐えきれずに相手に噛みつき打ち負かす。そのことで米屋を営む実家は得意先を失い、幸助は父(石倉三郎)から折檻を受け、学校を退学させられたあげく商人になることを強いられる。幸助は幼くして不平等な身分社会に憤りを感じる。
青年(村上弘明)になると、幸助はキリスト教へ入信。同志社英学校(神学科)へ月謝免除で入学。その頃、「遊郭」と「監獄」という人間社会の二つの暗黒面の存在を知り、監獄改良を訴え続けたジョン・ハワード伝を読んだことに強い影響を受ける。そして24歳で卒業後、丹波教会の牧師となる。
多くの人に信頼される牧師として活躍した幸助だったが、明治24年、金森通倫牧師の勧めで、妻(工藤夕貴)と子供を連れて北海道・空知にある監獄の教誨師に就任する。その頃、空知集治監では、重罪犯2000人を収容し、中には終身刑を2つも4つも持っている囚人もいた。強制労働など過酷な刑罰を受ける囚人達。幸助は、なんとか囚徒を更生させ、監獄を改革しようと、3年に渡って囚徒の過去を調査する。そして、犯罪の芽は幼少期に発することを知り、幼い頃の家庭教育の大切さに気づく。また、幼き日の友人が、犯罪者になっておたことも少年感化に従事する遠因となる。
幸助は教誨師を辞めると、米国に渡り2年をかけて欧米の監獄事情を学ぶ。そして帰国後、少年感化を実現すべく、北巣鴨の一角に『家庭学校』を作り、広く感化を要する子弟を教育、少年感化事業の先駆者となる。のちに巣鴨の地が都会的になると、ルソーの著書『エミール』に書かれた「子供を育てるには大自然の中が一番」という説に感銘を受け、北海道・遠軽の地に過程学校を作る。
その教育は、21世紀となった今もなお受け継がれ、その土地は留岡という地名になって現在に至っている。」
あっという間の2時間でした。
パンフレットの「物語のあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「幼くして商家の養子になった幸助は、ある日、金持ちの武士の子に一方的に殴られ、耐えきれずに相手に噛みつき打ち負かす。そのことで米屋を営む実家は得意先を失い、幸助は父(石倉三郎)から折檻を受け、学校を退学させられたあげく商人になることを強いられる。幸助は幼くして不平等な身分社会に憤りを感じる。
青年(村上弘明)になると、幸助はキリスト教へ入信。同志社英学校(神学科)へ月謝免除で入学。その頃、「遊郭」と「監獄」という人間社会の二つの暗黒面の存在を知り、監獄改良を訴え続けたジョン・ハワード伝を読んだことに強い影響を受ける。そして24歳で卒業後、丹波教会の牧師となる。
多くの人に信頼される牧師として活躍した幸助だったが、明治24年、金森通倫牧師の勧めで、妻(工藤夕貴)と子供を連れて北海道・空知にある監獄の教誨師に就任する。その頃、空知集治監では、重罪犯2000人を収容し、中には終身刑を2つも4つも持っている囚人もいた。強制労働など過酷な刑罰を受ける囚人達。幸助は、なんとか囚徒を更生させ、監獄を改革しようと、3年に渡って囚徒の過去を調査する。そして、犯罪の芽は幼少期に発することを知り、幼い頃の家庭教育の大切さに気づく。また、幼き日の友人が、犯罪者になっておたことも少年感化に従事する遠因となる。
幸助は教誨師を辞めると、米国に渡り2年をかけて欧米の監獄事情を学ぶ。そして帰国後、少年感化を実現すべく、北巣鴨の一角に『家庭学校』を作り、広く感化を要する子弟を教育、少年感化事業の先駆者となる。のちに巣鴨の地が都会的になると、ルソーの著書『エミール』に書かれた「子供を育てるには大自然の中が一番」という説に感銘を受け、北海道・遠軽の地に過程学校を作る。
その教育は、21世紀となった今もなお受け継がれ、その土地は留岡という地名になって現在に至っている。」
あっという間の2時間でした。