昨日の続きです。
・ブニュエルというのは、人間なんて下劣で最低だと思いながらも、同時に、人生はたのしくすばらしいと考えている芸術家であること
・『柔らかい肌』において、飛行機のなかでスチュワーデスのフランソワーズ・ドルレアックがカーテンを引いてハイヒールにはきかえるシーンといい、夜のレストランでフランソワーズ・ドルレアックがハイヒールをぬいで踊るシーンといい、映画的記憶という点ではジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督の『裸足の伯爵夫人』(1954)をすぐさま想起させるとともに、ハイヒールと女という、トリュフォーの映画の重要なテーマの一つが、明確に現れているのが印象的であること
・ゴダールはトリュフォーの『突然炎のごとく』を彼に対する一つの挑戦とみなし、『自分もいつかジュールとジムの物語を撮ろう。美しい風景のなかで大きなひろがりのある物語を撮ってみよう』と言っていた。『気狂いピエロ』がその答えだった。『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローが歌った「つむじ風」を作詞作曲したセルジュ・レズヴァニ(バシアク)のシャンソンをアンナ・カリーナに歌わせたりしたのも、そんな理由であったこと
・鉄則として。ラストの15分には、すでに二度か三度画面に出た場所はけっして見せてはならないこと
・トリュフォーの作品には、『恋のエチュード』あたりから、やさしい中年の、あるいはむしろ初老の婦人の存在が目立つようになったこと
・思いがけない出来事が撮影のたびに起こるが、かならずしも愉快な話ばかりでなく、単にわけのわからないことだったり、ときには耐えられないようなむごいことだったりする。実際に起こることのほうが強烈でなまなましすぎて、撮影中のシーンのつまらなさがきわだってしまうことすらあること
・トリュフォー自身がつねに感じていたことで、俳優を生身の人間としてつかまえること
・映画づくりの真実を最もよく表現している作品は、マルセル・パニョル監督の『ル・シュプンツ』(1938)とスタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー共同監督の『雨に唄えば』(1952)とヴィンセント・ミネリ監督の『悪人と美女』(1952)の三本であること
・映画作家には二つのタイプがあって、自分のねらいどおりの画(え)づくりを完璧に果たさなければ気がすまないタイプと、構図などにそれほど執着せず、画面に偶然が入りこむのを気にしないタイプとがあること
・1950年代後半あたりから、ベルイマンはセットの両端や角を画面から完全に切り落としてしまっていること
・目線をくずさずに寄ったりひいたりする演出のしかた、目全に沿ってロングからアップへ、アップからロングへのアクションをつなぐという、D・W・グリフィス以来の基本的な、伝統的な演出、つまりキャメラの動きをまったく意識させない古典的な手法を『人情紙風船』も採っていること
・ムルナウの『サンライズ』(1928)の都会の夜景など、遠近法を強調するつくりになっている。広場の全景では、奥のほうに小人たちを配して奥行をだしてみせた。トーキー以後も、映画は、しばらく、そうした構図の決められた枠から出なかった。キャメラがすごく重くなったこと、録音機材が面倒だったことなどがあること
・ロッセリーニとともに映画はドキュメンタリーに限りなく近づいたこと
・テレビの普及で、ヌーヴェル・ヴァーグの手法は急速に通俗化し、古びてしまったこと
・カラー映画では、ヌーヴェル・ヴァーグ式のなりゆきまかせが絶対に許されないこと
・シネマテークで古い作品を見て気がつくことは、古典とみなされている作品からもしばしば受ける印象だが、監督の計算どおりに正確に完璧な画(え)づくりができている映画ほど早く古びる傾向があること
・映画が描こうとするものの最終的な目的は、言うまでもなく、真実ということ。人間感情、環境、せりふ、演技、それぞれの真実。しかし、映画の場合、それだけでは充分でないことがわかる。それを支え、包みこむ形式(スタイル)が必要なこと
・映画は形式的統一の美学に回帰すべき、純粋な映画的文体をしっかり追求し、真に映画的なイメージを生みださなければならないとトリュフォーは考えていること
・強く激しい情熱の物語は、『恋のエチュード』以来トリュフォーの心を深くとらえていること
・トリュフォーの映画は、奇妙なことに、フランスでは当たらなくても、かならずどこかの国でヒットしてきたこと
・愛もしくは女、子供、そして書物が、トリュフォーの人生と映画の三大テーマだと言えること
・ピエール=ウィリアム・グレンは早撮り、即興が得意なこと
・トリュフォーの映画で一つ印象的なのは、しばしば、家と家が向かい合っているということ
・『日曜日が待ち遠しい!「』は、ヨーロッパ的というより、愛しあう必然のない二人が喧嘩をすればするほど協力しあってしまうというハリウッド映画の基本を踏まえていること
・トリュフォーは私の母と同じ年に生まれていること
以上の他にも面白いエピソードや興味深い固有名詞が満載です。トリュフォーファン必携の本です。
・ブニュエルというのは、人間なんて下劣で最低だと思いながらも、同時に、人生はたのしくすばらしいと考えている芸術家であること
・『柔らかい肌』において、飛行機のなかでスチュワーデスのフランソワーズ・ドルレアックがカーテンを引いてハイヒールにはきかえるシーンといい、夜のレストランでフランソワーズ・ドルレアックがハイヒールをぬいで踊るシーンといい、映画的記憶という点ではジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督の『裸足の伯爵夫人』(1954)をすぐさま想起させるとともに、ハイヒールと女という、トリュフォーの映画の重要なテーマの一つが、明確に現れているのが印象的であること
・ゴダールはトリュフォーの『突然炎のごとく』を彼に対する一つの挑戦とみなし、『自分もいつかジュールとジムの物語を撮ろう。美しい風景のなかで大きなひろがりのある物語を撮ってみよう』と言っていた。『気狂いピエロ』がその答えだった。『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローが歌った「つむじ風」を作詞作曲したセルジュ・レズヴァニ(バシアク)のシャンソンをアンナ・カリーナに歌わせたりしたのも、そんな理由であったこと
・鉄則として。ラストの15分には、すでに二度か三度画面に出た場所はけっして見せてはならないこと
・トリュフォーの作品には、『恋のエチュード』あたりから、やさしい中年の、あるいはむしろ初老の婦人の存在が目立つようになったこと
・思いがけない出来事が撮影のたびに起こるが、かならずしも愉快な話ばかりでなく、単にわけのわからないことだったり、ときには耐えられないようなむごいことだったりする。実際に起こることのほうが強烈でなまなましすぎて、撮影中のシーンのつまらなさがきわだってしまうことすらあること
・トリュフォー自身がつねに感じていたことで、俳優を生身の人間としてつかまえること
・映画づくりの真実を最もよく表現している作品は、マルセル・パニョル監督の『ル・シュプンツ』(1938)とスタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー共同監督の『雨に唄えば』(1952)とヴィンセント・ミネリ監督の『悪人と美女』(1952)の三本であること
・映画作家には二つのタイプがあって、自分のねらいどおりの画(え)づくりを完璧に果たさなければ気がすまないタイプと、構図などにそれほど執着せず、画面に偶然が入りこむのを気にしないタイプとがあること
・1950年代後半あたりから、ベルイマンはセットの両端や角を画面から完全に切り落としてしまっていること
・目線をくずさずに寄ったりひいたりする演出のしかた、目全に沿ってロングからアップへ、アップからロングへのアクションをつなぐという、D・W・グリフィス以来の基本的な、伝統的な演出、つまりキャメラの動きをまったく意識させない古典的な手法を『人情紙風船』も採っていること
・ムルナウの『サンライズ』(1928)の都会の夜景など、遠近法を強調するつくりになっている。広場の全景では、奥のほうに小人たちを配して奥行をだしてみせた。トーキー以後も、映画は、しばらく、そうした構図の決められた枠から出なかった。キャメラがすごく重くなったこと、録音機材が面倒だったことなどがあること
・ロッセリーニとともに映画はドキュメンタリーに限りなく近づいたこと
・テレビの普及で、ヌーヴェル・ヴァーグの手法は急速に通俗化し、古びてしまったこと
・カラー映画では、ヌーヴェル・ヴァーグ式のなりゆきまかせが絶対に許されないこと
・シネマテークで古い作品を見て気がつくことは、古典とみなされている作品からもしばしば受ける印象だが、監督の計算どおりに正確に完璧な画(え)づくりができている映画ほど早く古びる傾向があること
・映画が描こうとするものの最終的な目的は、言うまでもなく、真実ということ。人間感情、環境、せりふ、演技、それぞれの真実。しかし、映画の場合、それだけでは充分でないことがわかる。それを支え、包みこむ形式(スタイル)が必要なこと
・映画は形式的統一の美学に回帰すべき、純粋な映画的文体をしっかり追求し、真に映画的なイメージを生みださなければならないとトリュフォーは考えていること
・強く激しい情熱の物語は、『恋のエチュード』以来トリュフォーの心を深くとらえていること
・トリュフォーの映画は、奇妙なことに、フランスでは当たらなくても、かならずどこかの国でヒットしてきたこと
・愛もしくは女、子供、そして書物が、トリュフォーの人生と映画の三大テーマだと言えること
・ピエール=ウィリアム・グレンは早撮り、即興が得意なこと
・トリュフォーの映画で一つ印象的なのは、しばしば、家と家が向かい合っているということ
・『日曜日が待ち遠しい!「』は、ヨーロッパ的というより、愛しあう必然のない二人が喧嘩をすればするほど協力しあってしまうというハリウッド映画の基本を踏まえていること
・トリュフォーは私の母と同じ年に生まれていること
以上の他にも面白いエピソードや興味深い固有名詞が満載です。トリュフォーファン必携の本です。
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