さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず8月4日に掲載された「自宅療養の真意」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「撤退を転進、全滅を玉砕といいかえて、国民の目をあざむいたこの国の過去を思い出す。
政府は二日、新型コロナウイルス感染症の診療方針を転換すると発表した。「重症患者や重症リスクの高い方以外は自宅療養を基本とし、症状が悪くなれば入院できる体制を整備する」
なんてこったい。
アメリカで内科医をしている安川康介さんは、ツイッターで中等症とは「肺炎が広がり、多くの人にとって人生で一番苦しい」状態。重症は「助からないかもしれない」状態と説明している。また政府が方針転換したのは医療崩壊寸前だからだし、自宅療養は事実上の放置に近い。以上を勘案すると、先の発表は次のように変換できる。
「危篤に近い状態にある方以外は、死ぬほど苦しくても自宅放置。症状が悪くなっても入院できるとは限りません」
いわば政府のお手上げ宣言。国民の命は守れないと公言したに等しい。三日各誌も一面トップで伝えている。読売新聞は発表通り「『入院重症者ら限定』に転回」。東京新聞は踏み込んで「中等症も自宅療養」。毎日新聞「入院患者以外は原則自宅」は意味不明。当たり前ですよね、それ。
しかしながら、産経新聞の一面トップは五輪ネタで「村上『銅』」、朝日新聞は「高齢者2回接種75%」だった。両紙は新聞と名乗るの、もうはめれば?」
また、8月1日に掲載された「また安倍晋三と書くのか」と題された前川さんのコラム。
「「桜を見る会」前日の夕食会を巡り、検察は安部晋三前首相の元公設第一秘書を略式起訴したが、安倍氏への公職選挙法違反などの刑事告発に対しては「嫌疑不十分」として起訴しなかった。
これに対し、7月30日に公表された東京第一検察審議会の議決は「不起訴不当」と断じた。夕食会参加者への費用補填(ほてん)は違法な寄付行為の疑いがあるということだ。議決では「秘書や安部氏の供述だけでなく、メールなどの客観的資料も入手して犯意の有無を認定すべきだ」と指摘した。
検察審査会は主権者である国民が検察を監視するための大事な制度だ。検察が改めて真剣に客観的な証拠の収集にあたることを望みたいが、あまり期待はできない。
一方、安倍氏の政治責任は、刑事責任の疑いが生じた時点ですでに生じている。安倍氏は国民に説明する責任を果たさず、逆に「明細書はない」「差額は補填していない」など、国会で百回以上の「虚偽答弁」を繰り返した。自ら説明をしないのなら、国会で証人喚問するしかない。
森友学園問題や加計学園問題での安倍氏の政治責任も追及されずに残っている。普通の羞恥心があれば政治家を続けられないなずだが、この人にそういう羞恥心はない。だから僕は山口4区の有権者に聞きたい。「投票用紙にまた安部晋三と書くのですか」と。」
そして、8月8日に掲載された「飢えた子どもを救え」と題された前川さんのコラム。
「毎日なともな食事をするという最低限の生存条件が満たされない子どもが日本にもいる。NPO法人「キッズドア」が支援対象世帯に夏休み中の食事への不安について聞いたアンケートで「子どもに栄養バランスの良い食事を与えられない」という回答が76%に及んだ。新型コロナ感染拡大以前に比べ「食事の量が減った」と答えた世帯も47%あった。
日本国憲法25条はすべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する。子どもの権利条約は締約国に子どもへの「十分に栄養のある食物」の供給を求め(24条)、必要な場合には保護者に対し「栄養、衣類及び住居に関して、物的援助及び支援計画を提供する」よう求めている(27条)。子どもに栄養のある食事を保障することは憲法上も人権法上も国の義務なのだ。
子ども食堂は貴重な共助の取り組みだが、日々の食事に欠ける子どもには公助が必要だ。学校給食を夏休みも含め通年で実施することも考えるべきだ。理屈はどうにでもつく。任意参加の食育授業にしてもいい。
政府はGoToキャンペーンなどの昨年度予算を三十兆円も使い残した。そんな金があるなら子どもを抱える困窮世帯の支援に使うべきだ。こども庁をつくる暇があるなら、まず飢えた子どもを救えと言いたい。」
どの文章も一読に値する文章だと思いました。
まず8月4日に掲載された「自宅療養の真意」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「撤退を転進、全滅を玉砕といいかえて、国民の目をあざむいたこの国の過去を思い出す。
政府は二日、新型コロナウイルス感染症の診療方針を転換すると発表した。「重症患者や重症リスクの高い方以外は自宅療養を基本とし、症状が悪くなれば入院できる体制を整備する」
なんてこったい。
アメリカで内科医をしている安川康介さんは、ツイッターで中等症とは「肺炎が広がり、多くの人にとって人生で一番苦しい」状態。重症は「助からないかもしれない」状態と説明している。また政府が方針転換したのは医療崩壊寸前だからだし、自宅療養は事実上の放置に近い。以上を勘案すると、先の発表は次のように変換できる。
「危篤に近い状態にある方以外は、死ぬほど苦しくても自宅放置。症状が悪くなっても入院できるとは限りません」
いわば政府のお手上げ宣言。国民の命は守れないと公言したに等しい。三日各誌も一面トップで伝えている。読売新聞は発表通り「『入院重症者ら限定』に転回」。東京新聞は踏み込んで「中等症も自宅療養」。毎日新聞「入院患者以外は原則自宅」は意味不明。当たり前ですよね、それ。
しかしながら、産経新聞の一面トップは五輪ネタで「村上『銅』」、朝日新聞は「高齢者2回接種75%」だった。両紙は新聞と名乗るの、もうはめれば?」
また、8月1日に掲載された「また安倍晋三と書くのか」と題された前川さんのコラム。
「「桜を見る会」前日の夕食会を巡り、検察は安部晋三前首相の元公設第一秘書を略式起訴したが、安倍氏への公職選挙法違反などの刑事告発に対しては「嫌疑不十分」として起訴しなかった。
これに対し、7月30日に公表された東京第一検察審議会の議決は「不起訴不当」と断じた。夕食会参加者への費用補填(ほてん)は違法な寄付行為の疑いがあるということだ。議決では「秘書や安部氏の供述だけでなく、メールなどの客観的資料も入手して犯意の有無を認定すべきだ」と指摘した。
検察審査会は主権者である国民が検察を監視するための大事な制度だ。検察が改めて真剣に客観的な証拠の収集にあたることを望みたいが、あまり期待はできない。
一方、安倍氏の政治責任は、刑事責任の疑いが生じた時点ですでに生じている。安倍氏は国民に説明する責任を果たさず、逆に「明細書はない」「差額は補填していない」など、国会で百回以上の「虚偽答弁」を繰り返した。自ら説明をしないのなら、国会で証人喚問するしかない。
森友学園問題や加計学園問題での安倍氏の政治責任も追及されずに残っている。普通の羞恥心があれば政治家を続けられないなずだが、この人にそういう羞恥心はない。だから僕は山口4区の有権者に聞きたい。「投票用紙にまた安部晋三と書くのですか」と。」
そして、8月8日に掲載された「飢えた子どもを救え」と題された前川さんのコラム。
「毎日なともな食事をするという最低限の生存条件が満たされない子どもが日本にもいる。NPO法人「キッズドア」が支援対象世帯に夏休み中の食事への不安について聞いたアンケートで「子どもに栄養バランスの良い食事を与えられない」という回答が76%に及んだ。新型コロナ感染拡大以前に比べ「食事の量が減った」と答えた世帯も47%あった。
日本国憲法25条はすべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する。子どもの権利条約は締約国に子どもへの「十分に栄養のある食物」の供給を求め(24条)、必要な場合には保護者に対し「栄養、衣類及び住居に関して、物的援助及び支援計画を提供する」よう求めている(27条)。子どもに栄養のある食事を保障することは憲法上も人権法上も国の義務なのだ。
子ども食堂は貴重な共助の取り組みだが、日々の食事に欠ける子どもには公助が必要だ。学校給食を夏休みも含め通年で実施することも考えるべきだ。理屈はどうにでもつく。任意参加の食育授業にしてもいい。
政府はGoToキャンペーンなどの昨年度予算を三十兆円も使い残した。そんな金があるなら子どもを抱える困窮世帯の支援に使うべきだ。こども庁をつくる暇があるなら、まず飢えた子どもを救えと言いたい。」
どの文章も一読に値する文章だと思いました。