前の庭に3本、うら庭に6本、畑に10本。亡き父が育て残した松があります。すべて名前があり、手入れの仕方など、巻物にしてあります。
残された松のうち16本の手入れは私が受け継ぎ、3本はプロにお願いしています。松の手入れはプロにお願いすると高額で、庭に植えるのは道楽にすぎません。
これほどの松をなぜ残したのか?長いこと理解出来ずにおりました。
昨日、実家を整理しましたら、便箋5枚に、枯れていった精進の松のことが、書かれてありました。
種から大きくして育った松のひとつでした。
梨田の家は、本家を中心に、地元の政治家を出してきた家です。昭和47年に梨田精が市長になり、12年つとめあげました。同時期に、父の甥の梨田昌孝がプロ野球に入り、梨田家は、地元の皆さんの信頼のもと脚光を浴び、期待も大きくふくらんだのです。
その時に、伸びやかに枝をのばしている松に、父は名前をつけたようです。以下は抜粋です。
"私は強く心に念じ、精の進む道の夢を願い、この松に精進の松と名付け、心を込めひそかに育てました。年々風格をそなえ、特に一の枝の張りは力強さは逸品につきると自負するところとなり、、、‘’
その後、平成12年、梨田精が亡くなり、父の姉、 身内がなくなり、父は体調をくずしました。 幸い父は回復することができたとあります。
そのあとの下りで、
平成13年夏に精進の松が赤くなり枯れたとあり、
‘’ひそかに、我が身代わりにとなった精進の松への想いはつきぬものとなり‘’
と結んであります。
一族そして、地元の繁栄をいつも願って生きてきた父でしたが、その思いを松の一本一本に込めていたことがわかり、屈託なく呑気に生きてきた私は今まで以上に反省することとなりました。
幸い、梨田の家は、、昌孝が、来春、楽天の監督に就任が決定し、日本一に向けて3どめのの 挑戦がはじまります。
父が大事に精進の松を育てたように、ひそかに、一族と地元の方々の繁栄と夢の実現を願い、私も新たに私流の精進の松を育てよと父が天からメッセージを贈ってくれたと理解しました。
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