レバニラ炒め、レバーパテなどレバーの美味しい料理がありますが、なぜか嫌われ者の食材になっています。
私は子供の頃、農薬を吸って目が不自由になった祖母と一緒に住んでおりました。母は目に良いということで、頻繁にレバーを生姜を入れてお醤油で甘辛く煮た料理を祖母のために作っておりました。
そのせいで、牛のレバーも鳥のレバーも当たり前のように食べておりました。当然、魚のきも特にばとう(的鯛)のそれは大好物でした。
ところが小学生の頃、
「レバーって好き?」
と友人に聞かれたことがあります。当然
「好きよ」
と答えました。
すると、友人はものすごく変な人を見るような目を私に向けました。
「あんなものよく食べれるね」
「食べられないの?美味しいのに」
と答えました。その時初めて、レバーが嫌われ者の食材と知りました。
苦手な食べ物があるのは仕方がないことです。だけど少し勘違いしている人がいるように思います。苦手ということで、自分はデリケートな性格で、感受性が人一倍強い特別な人間であるとアピールできると思っておられる人がいらっしゃいます。
そして、一人がそうした特別なものを好んで食べるとわかると、
「あなたって、日頃から変わっていますものね。そういうことね」
などと妙に納得し、ゲテモノ食いの変人扱いをします。最終的にはいじめに発展することもあります。自分が食べることができないものを食べる人は変な人と思いたいのでしょう。
どうしても食べられないものがあるのは仕方がないこと、食文化は国や地方や家によって違いますから、当然です。
でも、食べられないということは、恥ずべきことという考えを持っていただきたいと思います。誰かが一生懸命作ってくれた料理の場合は、相手に十分な配慮が必要です。
中には田舎料理をバカにする人もいらっしゃいますが、誰かが一生懸命作ったものをぞんざいに扱うことはそれは、人格的に劣った人と言わざるを得ません。
「申し訳ないです。どうしても食べることができないんです」
この一言が重要なのです。
私は長く生きてきたので、今までいろいろなことがありました。
「あなた、そんなものが好きなの? 信じられないわ。私は無理」
「いえいえ、こんな美味しいものが食べられないあなたの方こそ不幸ですよ。マウンティングしているつもりでしょうけれど、それって愚かなことですよ!」
と、今なら、はっきり言うかもしれません。若い頃の私は、今より少し温厚な性格だったため、黙って我慢しておりました。食べ物には好奇心があったのと、お料理上手な人たちに囲まれて育ったおかげで、いつの間にか、それなりに美味しく料理して楽しむことができるようになりました。
レバーもスパイスや一緒に料理する野菜などで、美味しい食べ物に変わります。以前紹介しておりますが、ボジョレーヌーボー解禁の時に銀座でワインと一緒に頂いた、お店自家製のレバーパテの味は美味しくてまだ口に残っています。マリアージュという言葉がそのまま当てはまるのです。
曹洞宗の道元禅師も、
食材に優劣をつけてはいけない、できるだけ、廃棄することなく食べ尽くす努力が必要です。
と教えを説いておられます。
変なものを食べる人は、変な人と言わないことが大事です。最近、求められているグローバルな感性はそこから生まれてくると思います。
美味しい白菜が家にありますので、白菜と他の生野菜を、マヨネーズとキムチの素とツナで和えて食べました。
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