ab Cuore 

帰国した時ノンポリだった私が見たのは≒無政府状態の日本。
ショック、怒り、希望をこのブログに書きました。

8/24 no3 書くに値しないかもしれないけど、シンスケの・・・・

2011-08-24 18:30:47 | 日記
シマダ シンスケがすごく器用で、生まれつき頭がよくて、口で見せるより
ずっと繊細で、なんでもすごくこなす。 普通のビズネスの才能もあり、詩を書く
才能は驚嘆すべきものを持っている。

でもなぜか私は彼が好きになれなかった。

彼のやくざ顔のせい。

彼は若いころの過ちというか、グレた自分を隠さない。
でもそういうのが顔に残っているのだと思う。

仲間にやくざがいても驚かない。
そんなに簡単に断ち切れるものではないよ、麻薬みたいものだ。

やくざの中にはきっと人情に篤い本当に人間的な人がいるのだと思う。
でもなぜやくざと忌み嫌われるか?

やくざだからだよ、

日本という国はなぜかやくざを取り締まる法律がつくれない。
きっと日本の政界ってどこかでやくざとつるんでいるのだと思う。
なさけないけど。
映画やテレビだけの話ではないのかもしれない。

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8・24 No2 四季

2011-08-24 10:47:39 | 日記
朝ラジを聞いていたら「日本には四季があって・・・・」と耳に入った。

この手を聞くと、四季が日本にしかないみたいな印象をいつもうける。
マア、そんな馬鹿なことを本気で思っている人もいまいと反面思うのだが。

でもどこと比べているのだろう。
日本にはというのだから外国のどこか。
ハワイかな?

ヨーロッパには四季がある。
はっきりとした、特徴のある四季がある。

パリで四季を意識したのは初めての5月だったかもしれない。
私の学生寮はルクセンブール公園の側だった。
毎朝この公園を横切って大学に行っていたのだが、
ある朝、木々が若葉の緑になっているのに気がついた。
ここも、あそこも、そこら中が若葉色で一杯になっている。

これが春だ!って叫びたいほど美しかった。

枯れ木に若葉が一晩で”咲いたのだ”。

ずっと後になって、私は出張の多い仕事をしていた。
だから時としてこんなつぶやきがあった。

「この秋はほとんどパリにいなかったな」とか。
「この春のパリを見損なってしまった」とか。

夏、我先にバカンスに出る連中を横目に
私はパリの家にじっとしている。
静けさ、ああ、パリの夏のこの静けさ。
大好きだった。

私は開いているレストランを見つけては予約しておく。
夏場はなにがしと言われるようなレストランはしっかり1か月は閉店してしまうことが多い。
昼、予約しておいたレストランに行き、
暇なギャルソンとおしゃべりしながら食事をする。

帰りはブラブラと家まで歩く。
どうせパリは小さい。

パリの冬。
食べることの好きな人は絶対に冬に行くべきだ。
それに劇場は10月ごろから始まるから
予約していなくてもバレエでもオペラでも安い席なら手に入るかもしれない。
いい席はずっと前に完売していることが多い。

パリではどの季節も選びがたいほど好き。
東京なんかよりはるかに季節がある。
うちのマンションの前の街路樹を見ているだけでも
四季が明確にあった。
春の若葉、
日陰を作ってくれるほど葉が茂げる夏、
黄色や茶にそまり、それから悲鳴を上げたくなるほど落ちてくる葉
空が見える、枝だけの木、街路樹の果てのコンコルド広場


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8/24 No1 チェルノビルでは25万人の死者が出て、これから50万年あるいはそれ以上に渡り

2011-08-24 09:39:48 | 日記
フランス人の友達にフランスに戻ってくるように再度言われた。

チェルノビルでは25万人の死者が出て、これから50万年あるいはそれ以上に渡り
化け物が生まれてくると書いてきた。

フランスではこういうふうに今では言われているんだ。 本当かしら?

でも私だけ助かっても意味がない。

どうせ老い先短い私だ。

癌の発生率が上がったって知れている。

どんな生物でも死ぬのだし、死ぬということはそれほど深刻なことではない。

死が怖いときは、死によって何か失う、あるいは守らなければならないものを
残さなければならないなどの足枷があるときだ。

私は失うものは何もないし、私が死んで路頭に迷うものもいない。

子供がいなくて本当によかったと思う。

でも私に子供がいたらもうそれないの年で、心配するならむしろ孫という
ことになるのだろう。

先週だったか、束縛・・・・執着・・・について書いたが私自身の命にも執着はない。


パリでスズメが窓辺に来ることで、そこにハヤブサも来始めた。
自宅の窓辺にしてハヤブサのスズメ狩りを何度も見た。

いつも一緒にいた姉妹のスズメ。その1羽が一瞬にして持ち去られ、残った1羽が
ボーっとしている。 何を考えているのだろう。
家の中に飛び込んできて、ハヤブサが行ってしまったとき、「アー、怖かった」と
一息入れているスズメ。
台所に潜んでいた子が私が入ってきたので、窓に飛び出して行く。
ダメ!と制する私。 でもその子はハヤブサの爪の中にまっしぐら。
目を閉じて、まったくジタバタしないで、その子はハヤブサに握られたまま
いなくなった。

ああいう恐怖って私たちは普通にはない。
空襲のときってあんな感じと思ったことがあったけ。

あれ以来、私の死に対する感覚は麻痺してしまった。

ジワジワと来る放射能汚染の恐怖。
でも、例えば内部汚染されても、これから何年か後には
なにか新しいことがわかって、私たちの前に希望が灯るのではないかとも思う。

それよりちょっと前にUSAでも地震があった。
こういう地震が順繰りに来て、津波があちこちで起こって、あちこちに向かって・・・・






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