貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

分けい類右は

2018-12-21 08:41:06 | 日記

分けい類右は

平成30年12月21日(金)

 『ぼくのほそ道 芭蕉の古道』

というタイトルが一昨日の早朝に

夢うつつの中誘われる。

 「蕉道Ⅷ」と付して「嵯峨日誌」と

「幻住庵記」のまとめが11月に完了。

 推敲と印刷を開始。40日の時を費やし、

完了。

 マゼンダとイエロー、シアンの三色が

ほんと飛ぶように無くなっていく様は、

亡くなっていくこと、啼くなっていく様。

 始めたことはやり遂げる!

 そして、製本の段階へ。

 17ミリのホッチキスなら何とか。

 281頁の分厚さ。

 知人がいろいろ骨を折ってくれたが・・・。

 やっぱりプロに任すしか・・・。

 超多忙の印刷屋を紹介して貰い、暮れまでに

と無理を承知して貰う。

 表紙の表裏、背表紙も決まり、後は

できあがりを待つのみとなる。

 25部。

 私がつくり、知人が手助け、印刷屋さん

とも絆ができ、最高のクリスマス

プレゼントかな!!!

 さて、射水市へ

 荒屋神社 参拝! 

     

 放生津八幡宮の傍にある神社。

 狛犬も待ている?

 早稲の秀句碑という石碑の傍に

芭蕉の句碑がある。

 放生津神宮と同じものだが、

書体が違うかな。

「早稲の香や 分けい類右は

         あ里磯海」

 

さて、次は?

と、計画ノートをめくっていたら、

「この宮の裏に、『奈呉乃浦』の

標柱あり」

 というメモ書きがある。

 再度放生津八幡宮へと足をのばす。

 3度目の参拝。

もう一度じっくり境内を徘徊。

裏へと足をのばす。


あゆの風 苔生して・・・!

2018-12-20 10:40:59 | 日記

あゆの風 苔生して・・・!

平成30年12月20日(木)

 今朝は「射水市」へ。

 えっ、何処?

 新湊市と射水郡などが合併し、

平成15年に誕生した市。

 平成の大合併による。

 勿論、放生津八幡宮参拝!

射水市: 放生津八幡宮    

 宮司さんが女性参拝者に何だか説明

されておられる。

 放生津八幡宮は、聖武天皇の御代

天平18年、越中国守として

大伴家持の在任中に、九州の

宇佐八幡神を観請し、奈呉八幡宮と

称したのが起源。

 由緒


 

 祭神は「応神天皇」であり、「仁徳天皇」が

配祀され、地方の総社として崇敬され参拝者

も多い。

 毎年10月1日には放生津八幡宮の

例大祭「新湊曳山まつり」が行われて

いるそうだ。

 堂々たる阿吽の狛犬は、コンクリート製。

 社殿の回廊に、以前の木製の狛犬

阿吽像が鎮座。

 参拝後にじっくり!

 

 肉感溢れ、あったかみのある阿吽像!

 境内に一画に、

 大伴家持の歌碑かな?

「あゆの風 いたく吹くらし奈呉の海

 人の釣りする小舟こぎ 隠るみゆ」


 松尾芭蕉の句碑も建っている。

 苔むして。

 芭蕉の句は、

「早稲の香や 分け入る右は

         有磯海」


 文学碑・早稲の秀句碑として紹介

されている。

 他、史跡越中御所跡と、史跡放生津

御蔵跡も説明されている。

 書字がちょっとかすれ、読みづらい

のは残念だが・・・。

 御製歌碑も・・・。

その説明。


はせをと遊撃隊

2018-12-19 08:44:19 | 日記

はせをと遊撃隊

平成30年12月19日(水)

 今朝も富山市へ。

 愛宕神社に詣でる。

 近所の趣味の店の主人に尋ね、

やっと神社がわかる。

たのもしげで、ユーモラスな阿吽狛犬

 そして、社殿参拝!

 境内を散策。

「はせを翁の墓石」あり。

 隣に遊撃隊の云々の墓石もあり。

 

 ここにも、はせを、芭蕉の墓有り。

 遊撃隊とは???

 

 愛宕神社は友田にもある。

 京都市の愛宕神社が総本社で、

 全国に約九百社あるという。

 火防の神様だ。

 火災の多い時季、

 どうか、どうかのお願い!!!

 自然発火物にも留意して!

 


長嘯の墓も廻るか鉢敲

2018-12-18 08:57:38 | 日記

長嘯の墓も廻るか鉢敲

平成30年12月18日(火)

 富山市に、スリップ!

真 興 寺      

 先ず、参拝!

芭蕉塚が,他の俳人の句碑と

並んであり。

俳句碑

そして、芭蕉の碑。

「先師芭蕉翁之塚」と彫られ、

長嘯の 墓も廻るか 鉢敲

と記されている。
 

「長嘯の 墓も廻るか 鉢敲」????

 全く解せぬし、芭蕉の句とは

今の今まで思っていなかった。

調べると、

 長嘯(ちょうしょう)は豊臣秀吉の

正室ねねの甥、小浜城主木下若狭守

勝俊のこと。

〔鉢たたき〕とは、空也を始祖とする

念仏踊の一種。11月13日から除夜まで

瓢箪をならし、鐘をたたいて、

空也上人の作という歌を歌って、洛外

七所の墓所をめぐる儀式。

 「こんなに遅く、夜が明けてから来た

鉢敲きは、鉢たたきに縁のある長嘯子の

墓まで廻ってきたからであろうか」

の意。

難解な句であった。

慈悲殿のあるお寺だ。

 


日は難面も・・・!

2018-12-17 08:42:44 | 日記

日は難面も・・・!

平成30年12月17日(月)

富山市の水橋神社 へ。

 神社創建の年月は不明。

 8世紀の「延喜式」に水橋の宿駅が

あったことが記されており、

歴史は古い。


 

 文治年間(1180年代)義経が

兄頼朝に追われ、ひそかに北陸路を

経て奥州に逃れようとして水橋の渡に

さしかかり河水の深浅、渡しの難易を

計りかねて当惑していたところ、

海士があらわれ、義経主従を教導して

無事に渡した。

 この海士は海神の化身であったという

「義経海士伝説」が有名。

先ず社殿参拝!

 阿吽像にも挨拶。

 水橋神社の絵馬の説明

 また、天保9年(1838)石黒屋権吉が

奉納した「北前船」。

 嘉永5年の同じく模型、

嘉永7年の奉納句の額などがある。

 境内には、もう一つ神社がある。

 海士ヶ瀬神社。

 海士ヶ瀬神社は売薬行商に旅立つ人

の安全祈願の社(やしろ)として尊崇

されている。

海士ヶ瀬神社の由緒

 

 この人が、石黒屋権吉さんか?

その碑か。

 また、境内には芭蕉句碑が建立されている。

芭蕉の句は、

「阿かあかと 日は難面も 秋の風」