貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

越中売薬や北前船

2018-12-16 08:54:32 | 日記

越中売薬や北前船

平成30年12月16日(日)

 温泉に入りたくて、

道の駅「ウェーブパーク滑川」まで戻る。

 温泉に入ろうとしたら,

何と定休日。

 体を拭くだけにし、早々に休むこと

にする。

 

 富山市の照蓮寺へ出立!

 照蓮寺は、越中売薬や北前船などで

栄えた歴史ある水橋の町で、およそ

五百年の間、多くの民に親しまれて

きた。

 先ず、参拝!

 子どもたちには、毎年夏休みに、

『しょうれんじ夏休みこども会』を

開催。

 今では100名の子どもたちが

参加、夏の貴重な思い出作りを

しているという。。

 また、2016年(平成28)より

地域における多世代の集いの場を

提供する目的で、

『みずはしこども食堂』を

開設した。

 温かいご飯を共に囲み、一緒に遊ぶ

中で触れ合いを醸成。

 多くの子どもたちや地域の方々と

の交流促進の場となっているという。

 貧しい子どもたちが増えている現時、

最先端に取り組んでいる。

 子どもたちと地域の大人が交流する場、

食堂と境内、安心・安全な恰好の場。

 すくすく育つことまちがいなし。

少年…少女時代の良き居場所になることを

願って止まない。


ギボウシに埋もれる碑

2018-12-15 08:47:52 | 日記

ギボウシに埋もれる碑

平成30年12月15日(土)

 師走も折り返し!

 いよいよ有磯海!

滑川市の 櫟(くぬぎ)原神社参拝。

 

 阿吽の獅子。

 

社殿に直行、参拝。

 境内はかなり広いが、ほとんどが公園に

なっている。

 境内の奥は、すぐ海岸。 

 創祀は大宝元年(701)。

 往時はそうとうな大社であったらしい。

 地球上に平和を祈願、「平和の塔」が

ある。

永遠の祈願だ。平和は!

 そして、芭蕉句碑を探す。

 芭蕉の句碑が大樹の下、整備されていた。

 

 ギボウシにちょっと埋もれているが・・・。

 芭蕉の句は、

「しばらくは 花の上なる 

            月夜かな」

※「しばらくの間だけ咲き誇る花

の上に月が宿っている。

 やがて月は傾き、この美しい景色を

楽しむことができなくなってしまうの

意」と説明されている。

有磯の海

海岸には、大小のお地蔵さんが・・・。

祈りを込めて・・・

 平安と平和と平穏を!


知十と有磯の砂

2018-12-14 08:41:27 | 日記

知十と有磯の砂

平成30年12月14日(金)

 今朝も、滑川市。

高速を降りて、徳城寺へ。

 徳城寺の創建は不詳。

 室町時代に開かれたよう。

 当初は土肥氏の縁の寺院として、

弓庄城(上市町)城下にあった。

 天正10年(1582)に発生した

本能寺の変で、織田信長が討たれると

当時の城主土肥政繁は織田家を

見限り上杉家に従った為、

天正 11年(1583)、信長の

旧臣の攻撃を受け弓庄城は落城。

 土肥氏は上杉氏を頼って越後に

落ち延び、徳城寺は滑川に移ったと

いう由緒。

 木彫の阿吽仁王像、新に彫られたよう。

 鐘楼も六角堂と凝っている。


 徳城寺境内にある芭蕉句碑(有磯塚)は

元禄2年(1689)に奥の細道行脚で

当地を訪れた芭蕉と曾良が泊まったと

される川瀬屋の後裔である七代目

当主彦右衛門(川瀬知十)らが、

芭蕉70回忌を追善し、

明和元年(1764)にを寄進したもの。

 当地で詠ったとされる芭蕉句、

「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」 

が刻まれている。

新たな句碑は、奥の細道紀行三百年記念碑

知十らが寄進した芭蕉句碑は、

ケースに入って、大切に保存されている。

 

 隣の六角形の石碑は、  

天明3年 (1783年)、知十の十三回忌

の追善供養として寄進された、

 「知十塚」だそう。

 知十という人は、滑川の俳壇を代表

する俳人。

 芭蕉70回忌に句碑建立を思い立ち、

有磯海の砂を手でさらえ、

荒波がかかる自然石を荷い運んで

この秀吟を刻む。

 そして、荒町海岸にあった徳城寺の

境内に建立。

 新たな徳城寺の移転時、句碑も移転。

現在に至っている。

 赤松に守られ,屋根構え、そして、

古い句碑はケースに入れられ,しっかり

保護されている。

「有磯塚」「知十塚」とともに、

大切にされていることがよく分かり、

有磯海と称する富山湾へ見たさに、

先を急ぐことにする。

 

 


荒磯の波

2018-12-13 08:53:28 | 日記

荒磯の波

平成30年12月13日(木)

 今朝は、滑川市へ。富山県にある。

 高速道路に、あえてのることに!

 高速道路のサービスエリアにも

芭蕉句碑が建つことも増えたこと

による。

 まだまだ新しい!

 

芭蕉の句は、

「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」 。

説明板には、

「実った早稲の香りが漂う中を

かき分け、加賀の国に入ろうと

した時、訪ねることのできなかった

有磯海への情景と心残りを込めて

詠んだといわれている。

 北陸自動車道有磯海のサービス

エリア上り線は、富山県滑川市

(旧越中国新川郡)に位置する。

 有磯海は地名ではなく、大伴家持が

詠んだ歌、  

「かからむと かねて知りせば 越の海の

 荒磯の波も 見せましものを」 (万葉集)

に由来する。

 北陸を代表する歌枕で富山湾の海

のことを指す。

 有磯海は万葉の時代から絶景と

して名高く,芭蕉をはじめ多くの

歌人・俳人が和歌や俳句に詠んで

いる。」

と丁寧な説明が記されていた。

そして、もう少し歩くと、

 ここにも、ダブルだ。

 字体が何ともいえず。

 有磯海のイメージに何とも・・・?

 デザインされちゃったかな?

 やっぱりSAだった、という正直な感想。


分入右ハ?

2018-12-12 08:40:22 | 日記

 

分入右ハ?

平成30年12月12日(水)

 この1ヶ月、蕉道Ⅷの

『古希からの寄り道』パートⅡ

の推敲と印刷に集中。

余す所、12頁となり、今日中には

何とか印刷完了の見通し。

 寒さに合わせ、一気に疲れもと

いう感じ。

新川郡の 「朝日町元屋敷 」へ向かう。

 朝日町に入ると、

明治天皇宮崎御小休所祉が整備

されていたり,

鹿島神社があったり、

やはり元屋敷近くだ。

そして、貴重な「宮崎自然博物館(園)」

として整備されていた。

芭蕉句碑の案内も

つつじが満開。

 

 

 

芭蕉句碑

芭蕉の句は、

「わせの香や 分入右ハ       

         有磯海」

その説明

見たいなあ、有磯の海を!