貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

港区: 天現禅寺 芭蕉句碑「一里はみな花守の子持かや」

2024-06-15 10:30:18 | 日記
令和6年6月15日(土)
港区: 天現禅寺     
 珍しい名前のお寺の一つか。
<山門>

 当寺は多聞山の山号が示すように、
本尊として毘沙門天の像
(樟の丸木作り、高さ103cm)を
お祀りしている。
<本殿>

(秘仏の為、開扉日に公開)
 毘沙門天は、「多聞山」とも称され、
四天王の一人。
降魔相を現じて仏国土と衆生を
守護する願誓を持ち、
また、七福神の一神でもある。 
 民俗信仰の対象。
<珍しい説法>

 庭の築山の麓に、
芭蕉句碑がある。

  「伊賀の国花垣の花はそのかみ
奈良の八重桜の料に附されけると
いひ伝えければ」
と前書し、
「一里は 
  みな花守の       
    子持かや」。 
  この句碑の背面に、    
「文政六葵未初冬」、
『其薫 
  四方に満つるや         
     八重桜』 
と刻印されている。
 当寺には、
その頃有名なしだれ桜があった
と記録あり。  
 

 文政の頃、それに因んで、
ここで句会が催され、
句碑が建ったのではなかろうかと、
考えられている。  


港区北青山: 善 光 寺 茶室より芭蕉句碑の公開!

2024-06-14 09:55:38 | 日記
令和6年6月14日(金)
港区北青山: 善 光 寺           
 「表参道駅A3出口より徒歩1分」
とあったが、ぐるっと一回り。
 善光寺はあちこちにあるのが、
芭蕉の紀行を追従してわかる。
 どの寺も皆落ち着いた趣を
呈している。
<山門>

 江戸時代、
信州善光寺本願上人の東京宿院である。
<本殿>
<鐘楼>

 芭蕉句碑は、
茶室の奥にあり。
<茶室>

 今は公開しておらず、
無念の一言。

 庭園の開放を望むのみ。
  芭蕉の句は、
「山路来て 何やらゆかし すみれ草」。  
 左の地蔵が、
私の心境「茶室より芭蕉句碑」。

「無念歯ぎしり地像」なり! 


港区青山: 海 蔵 寺 新旧芭蕉碑碑「只ひとつはの一葉哉」

2024-06-13 09:41:24 | 日記
令和6年6月13日(木)
港区青山: 海 蔵 寺         
 青山墓地の近くだから
「キラー」。 コシノジュンコさんに
名づけられた
「キラー通り」という名の
デッドロードだ。    
 凄い名前の外苑西通り沿いに
こんな異国情緒たっぷりの赤門が…。

 青山海蔵寺の山門。
 一瞬「ええっ?!」
 本堂までの道は整備され、
両側は石碑や木々、花などで
いくらか落ち着きを取り戻す。
 老紳士がひとり、
写真を撮っておられる。

 海蔵寺は、
井伊候夫人(掃雲院殿無染了心大姉)
が海蔵庵として
寛文11年(1671)本所牛島に創建。
 隠元禅師の法孫
鐡眼道光禅師が開山。
<本殿>

 延宝8年(1680)当地へ移転、 
<石碑群>
<古い芭蕉句碑>

芭蕉の句碑は、
古きのものと新しきもの大切に建つ。
<新芭蕉句碑>

 句は、
「夏来ても 
  只ひとつはの 
    一葉哉」。 




台東区浅草寺②弁天堂と芭蕉句碑と芭蕉座像!

2024-06-12 10:17:16 | 日記
令和6年6月12日(水)
台東区浅草寺②
 弁天堂がある。
<弁天堂>

 その正面段下に、
芭蕉句碑が整然と立っている。

 芭蕉の句は、             
「くわんをんの 
  いらか見やりつ 
     花の雲」 
 句碑は、
この句を上部に、
下部に芭蕉座像が線画として
刻まれている。
<芭蕉座像>

 欠損も激しく、微かに分かる
という程度である。
 宝蔵門の裏には、 
吽(うん)形の仁王尊の制作者である
村岡久作氏の出身地というご縁で、
山形県村山市の奉賛会により
奉納された
「大わらじ」が掛かっている。

 弁天島にあるある阿吽狛犬が
これまた可愛いかった。




台東区浅草: 浅 草 寺① 浅草寺の由緒と弁天島!

2024-06-11 14:28:04 | 日記
令和6年6月11日(火)
台東区浅草: 浅 草 寺①         
 何度訪れても、
浅草という所は、わくわくする。
<浅草の賑わい>

 浅草寺は、
1400年近い歴史をもつ観音霊場。
<仁王門>

 ご本尊がお姿を現されたのは、
飛鳥時代、推古天皇36年(628)
3月18日の早朝との由。
 宮戸川(今の隅田川)の畔に住む
檜前浜成・竹成兄弟が漁をしている
最中、投網の中に一体の像を発見。
 仏像のことをよく知らなかった
浜成・竹成兄弟は、
像を水中に投じ、
場所を変えて何度か網を打つ。 

<大草履>
 
 しかしその度に尊像が
網にかかるばかり。魚は捕れなかったので、兄弟はこの                     尊像を持ち帰る。 
                    
 浅草寺に伝わる縁起には、
観音さま示現の日、
一夜にして辺りに千株ほどの
松が生じ、3日を過ぎると
天から金の鱗をもつ龍が
松林の中にくだったと
記されている。
<本殿>

 この瑞祥が、
後につけられた山号「金龍山」
の由来となる。
<参拝客で大賑わい>


 また現在、
浅草寺寺舞として奉演されている
「金龍の舞」も、
これに因む。
 宝蔵門の右側の弁天島に、
芭蕉句碑がある。
<弁天島>

~つづく。