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次男が2歳の時(ある医師のミスで食道静脈瘤が破裂し、生命の危機に陥った事態を)素早い処置で助けてくれた『天野医師』
盛岡から飛んで来た父親も、次男に400ccの輸血をしましたが・・
緊急だったので、病棟の複数の医師も次男に輸血してくださいました
天野先生が助けてくださったお陰で、胆道閉鎖症としては(自己肝で)長生きできた人生でした
幼稚園の入園式で、園長先生に名前を呼ばれて「はい!」と右手を挙げて起立し、次男は笑顔で後ろの保護者席に座る私を見ました
小学校の低学年の頃は、沢山の痛い入院治療が待っていましたが・・
それを乗り越えると、中学~高校~成人式~就職と何事も無く過ごすことができました
幼稚園や小学校の運動会、楽しい修学旅行(中学時代は東京ディズニーランド、高校時代は松本城見学と楽しい思い出になったスキー教室)
就職してからは、職場の親しい人たちと四日市に美味しいものを食べ歩き、親しい友人グループと京都や大阪に旅行に出かけ、毎週土曜日には馴染みの御店で乾杯!
好きなスターのライブ、握手会にも(名古屋・大阪へ)楽しそうに出かけていました
38歳でコロナワクチン接種後に急性骨髄性白血病になってしまい、絶望の中でも自分で入院を決めてビダーザ治療を受けました
「自宅に帰りたい」「最後に大阪に行きたい」「いつどうなるか分からないから悔いのないように過ごしたい」という次男の望み通りに、私は動きました
週に2回の三重大学病院での輸血、馴染みの御店での友人たちとの楽しい会食、ゲーム店やCD購入にと、私の車で送迎しました
通院後には、美味しい寿司店、焼き肉店、レストランでも食事を共にしました
自宅療養での4カ月間は、口では言い表せないほどの大変な日々でもありましたが、何とか二人三脚で走り抜け、次男もよく頑張ったと思います!
次男は38歳10ヶ月で逝ってしまいましたが・・普通の人の一生分働き、一生分のお金を使い、遊び、好きなビールを飲んで、幸せな人生だったと思います
ずっと寂しくて悲しくて「涙そうそう」の私ですが・・・
天野先生のお蔭で、次男は38年も生きることができました!本当にありがとうございました