どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

憎らしいエピソード

2006年09月23日 | 日記
先日の連休に少しだけ部屋の整理をした

少し大きな地震があると必ず本の1,2冊が落ちているという有様で 何処に何の本があるかは勘が頼り

庭の雑草も増殖するが 本も同じである

本を買いたくなった時は住んでいる町の書店では品不足だから 大型書店に出かける事が多い

都会に住んでいる数少ない恩恵を痛感する瞬間でもあるが それでもなかなか足を運ぶ時間が無い

それで書店に行った時はついつい買い溜めをすることになる

既に読みかけの本はある

しかし買ってきた本も気になる

それであちこち読み始めるのが最近の悪習である

そういう本が既に何冊も山となって積まれている

読破する気は満々だから 仕舞いこむわけにもいかない

で 連休に其の中の一冊をこの山から救い出すことにした

藤原正彦さんの本である

最近は愛国心や母国語ですっかり売れっ子になってしまったが 私は彼が若き数学者だった頃から読んでいる

その当時から熱血漢といおうか硬派といおうか その一本気な処がユニークだと思っていた

言うまでもなく彼は新田次郎と藤原ていのご子息である

気象職員と作家の二足のわらじを履く父親が 疲れて帰宅した後にあっても書斎で深夜まで物書きをしていた

そんな話を藤原さんの初期のエッセイで読んでからは いつも心の何処かにそれが引っ掛かっている

自分の怠惰な生活に反省を促す実に憎らしいエピソードである

母国語や愛国心についての最近の彼の主張についてはさておき(これについて語るのには勉強不足だし^^) 

この本の三分の一程を占める満州再訪記が面白かった

満州という外国の地と戦争を含む歴史に対しての書き様は 人の息と体温を感じるものだった 

そしてスケールも境遇も全く異なるが 同じように両親の縁の地を徘徊した私としては胸打たれる場面もあった

太刀打ち出来ないとは判っていながらも憎らしいほどのエピソードを胸に 積読の本の山を少しでも減らそうと

殊勝にも思ったりしている初秋である
コメント
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