来月、10月1日より、渋谷のCCレモンホールが渋谷公会堂に名称を戻すこととなった。
ところで、渋谷公会堂と言えば氷室ファン、BOφWYファンにとっては、
1987年12月24日のBOφWY解散宣言ライブが思い浮かぶだろう。
俺はそのライブを生では観ることはなかったけれど、
それを収録した映像、『1224』のDVDは持っている。
このDVDを発売する前に、発売記念の一環として、
渋谷公会堂で「BOφWY 1224 Film」と題し、フィルムコンサートを開催した。
同会場に限らず、数多くのアーチストがフィルムコンサートなるものを開催しているだろうけれど、
この1224に関して言うならば、他のそれとは違い、
「人気絶頂時に解散した伝説のバンドの解散宣言」
「蔵出し」
「長時間のフィルム」
「初披露」
という、かなりレアで、しかも、
かなりシリアスな緊迫感漂う記録フィルムとなっていたのはご存じの通り。
当然のことながら、それらのキーワードは、
そのフィルムを観る前から誰もが予想出来たことであり、
開演前の雰囲気も、和気あいあいというより、
なにか張りつめた、、どこか緊張感のある空気が漂っていたというのは記憶に新しい。
そう、
「俺たちはこれから一つの歴史の目撃者となる」
そんな言葉が相応しい渋谷公会堂の夜だったと言ったところだった。
今回はそのフィルムコンサートのパンフレットに綴られた、
BOφWYメンバーの解散に対する思いの一部を紹介しようと思ったのだが、
それは、別の方のブログに詳しく綴られているので、
今回は、そちらを参考にしてもらうとして、
当ブログでは、1987年12月24日渋谷公会堂で、
その歴史に携わった裏方氏達の、
"それぞれの思い"の一部を掲載する。
■僕は舞台袖にいたんですが、そのときの精神状態は独特なものでしたね。
仕事という部分では冷静でいなければならないのに、
全然それどころじゃないっていう。なんかおかしくなりそうだった。
もちろん解散宣言のそのときも直視できませんでしたし。
■実は僕、12月24日が誕生日なんですね。で、当日はライヴが終わって、
すべての後片付けをしてから、もうひとりのスタッフと六本木へ飲みに行ったんです。
で、「終わっちゃったね」なんてしんみりしてたら、
打ち上げの後の氷室さんがケーキを持ってきてくれて。
そんな日なんだから、自分のことで精一杯なはずなのに、覚えててくれてて。
アレにはホント、感激しましたね。
■解散宣言の場面、氷室が何度も何度も布袋にアイコンタクトを求めるじゃないですか。
アレ、氷室は、もしかしたら「解散宣言しなくていいか」っていうサインだった気がするんですよ。
「この場で俺にそんなこと言わすなよ」っていう。でも、布袋が後ろをピュッと向いちゃうじゃない。
「いいよ、ヒムロック」っていう合図だったような気がするんだよね。


