氷室京介グッズに限らず、
アーチストのグッズというものは、
理想と現実のとの狭間で悩みを抱えるかのような、
そんな苦労があるだろう。
例えば、面白いデザイン等を考えたとしても、
それをタオル素材にプリントしなければならないとなれば、
そこで、その理想は理想だけで終わってしまうとか、そういうような話。
布袋氏のように、何にでも合わせることの出来る柄という、
揺るがない「武器」を持っているならば、
それは直線のラインだけで組み立てられているわけだから、
先に言ったような、そういう悩みもなく、
むしろ、その先のクヲリティーや合わせ技を追究出来るという、
そんな、バリュー的にもお得なデザインだとも言えるだろうけれど。
武道館の2DAYSだけでグッズを作るとなれば、
凝った裁縫や、凝ったディティールとした場合、
提示する側もそれなりの予算はかかってしまうわけで、
やはり、氷室京介という一つのプロジェクト、
ある種のシステムの中で考えると、
常に俺達の理想に答えることは出来ないのかな、
というのが現実なのかも知れない。
まあ、そんな感じで、
何事も客観的に見るというのは非常に重要な話であるわけだが、
それでも今回の、あの「剣(つるぎ)」のデザインに関しては、
決してセンスがあるとは言えないのではないだろうか。
早い話が、
氷室京介のグッズだと知らない人にも褒められるようなデザイン、
或いは、褒められなくとも、
ダサいと思われないようなデザインであるのが理想なのだから。
デザインというものは、
スキルも需要だけれど、それよりもセンス、
センスよりも先に、アイデアなわけで、
やはり需要なのは、持って生まれたセンスだとか、勘だとか、
そういった形としては存在しない「感性」なのだ。
圧倒的なスキルにより、センスやアイデアをねじ伏せたところで、
ファーストインプレッションこそ、評価されても、
すぐに飽きられてしまうというのが、
スキルだけで作られたアート作品というものだろう。
感性というものは鍛えて伸びるようなものではない。
駄目な奴は駄目であり、
出来る奴はどんなアドリブを提示されようが、
やってのけてみせるものだ。
決して、引き出しから出しただけの "偽感性" ではなく、
閃きこそが、最高の感性、、
すなわちそれも「武器」だと言えるだろう。
次回のライヴ、
氷室京介25周年を記念するそのアニバーサリーライヴでは、
是非、その25年という軌跡に負けないくらいの、
素晴らしいデザインのあるグッズを期待したい。
そう、
最高の武器を持った人間に、
その任務を遂行してもらいたいということだ。
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