BOOWYには再結成をしないで欲しい。
こう思ってる人は少なくはないのではないだろうか。
そう、再結成しない美学。
若いから輝いてたBOφWY・・・
若さ故の輝き・・・
再結成をしたとしてもBOφWYが存在するという事実がそこにあるだけで、
その輝きは当時のBOφWYより色あせるだろう。
分かりやすく言えば、
セックスをやりたくてやりたくてたまらなかった学生時代の女友達に、
20年後の同窓会で逢った時にやったとして、
そこに自分が思い描いてた感動があるか・・・
答えは憧れの女とやったという事実はあるが、感動は薄いだろう。
何故「感動は無い」ではなく「感動は薄い」なのか。
感動が全く無いわけではない。
事実から来るサプライズ。
サプライズから来る当時の思い。
そう、ここで言う感動とは、
当時の思いと照らし合わせて得た感動なのである。
もっと言ってしまえばBOφWYをまったく知らない奴が、
BOφWYの再結成ライブに言っても感動できないだろうと言うこと。
当時の思いがあるからこその感動。
しかしそこには当時の輝きは無いのではないだろうか・・・
BOφWY・・・それは圧倒的なオーラ・・・・
オーラ・・・
それは永遠ではない。
しかし・・・