先日届いた会報、『KING SWING No.57』で分かったことがあるが、
氷室は昔から "精神性" という言葉を好んで多用していたらしい。
けっして、"精神力" ではない、精神性という言葉に、
「なるほどね。」と、
どうりで俺達が、氷室京介にシンパシーのようなものを強く感じるわけだなと、
妙に納得してしまった田家秀樹氏の読み物だった。
シンパシーの先には、
「テレパシー」というものが存在するけれど、
一般的に、それはオカルトだと言われているが、
個人的には、あるかな、、と感じるところではある。
ただしそれは、意識してその能力を発揮するという高度なものではなく、
気が付けばそうであったというような、
一切の雑念を排除した末の精神性の先にあるといった、
結果としてその形を現わす、
そんな "準テレパシー" と言った感じかも知れないと捉えている。
こんな話をしたから言うわけじゃないけれど、
以前、ちょっと変わったエピソードがあった。
それは氷室京介のアルバム『FOLLOW THE WIND』の発売前の話。
まだ一切の音源が世に出ていない中、
なんと俺は、そのアルバムに入る一曲、
「サクリファイス」のメロディーや、俺独自が感じた風景を、頭の中で描いたのだ。
もちろんそれは完全なイメージではないが、
あの曲の輪郭を、睡眠前の所謂レム睡眠時に感受したのである。
アルバム発売後に、「サクリファイス」を初めて聴いた時、
なんとも言えない不思議な感覚におそわれ、
記憶の回路をオートマチック的感覚で巻き戻すかの如く、
その時に見た風景やメロディーがフラッシュバックされて、
自分自身に脅威を感じるような、そんなナルシズム的感覚に酔いしれてしまった。
もし、氷室が、
当時、「サクリファイス」に関して、
なんらかの奇異な出来事があったと記憶するならば、
多分それは、俺のテレパシーが氷室の感覚をキャッチした、、或いは、
曲作りに没頭する氷室のセンシビリティーを、
逆に俺が感受したのだと言うことなのかもしれないと、俺は信じて疑わない。
嘘みたいな御話、、、普通はそう思うだろう。
逆に俺が人から聞いても、
同じようにそう思うというのがこの手の話の矛盾なのだ。
そう、
或いは氷室がこの話を聞いたならば、
「ちょっとパラノイアだよね」
なんて事を言われてしまうかも…
それが現実なのかもしれない。
異常、、もとい、
以上■