平日の午後4時半過ぎの上野公園にやってきました。一般的に東京は緑が多いと言われていますが、都心部の中にはそんなに大規模な緑地帯はなく、新宿御苑や代々木公園など都心部から外れた外周部に多く点在しています。その中においてここ上野公園は都心部の中で最も広大な面積を持つ緑地帯です。
上野公園の北端部・寛永寺に隣接した場所に建っている「東京国立博物館」。明治維新後まもなくの明治5年に日本最初の博覧会が湯島聖堂で開催され、博物館はその後上野公園に移転することになります。明治10年に上の寛永寺で実施された第一回内国勧業博覧会が行われ、その後の明治14年に本館が完成しました。
旧本館の建物は関東大震災によって損傷し、復興本館の建設が1932年に着工され、1938年に完成しました。これが現在の東京国立博物館の本館です。現在は存在しない旧本館の建物は、明治維新当時の国際情勢を鑑みて、国の威信をかけた壮大な建築物だったそうです。
国立科学博物館。戊辰戦争によって上野寛永寺一帯は一面の焼け野原となりましたが、明治維新後に東京府の公園として整備されると共に、東京国立博物館や科学博物館など、当時の日本の威信をかけた文化施設が多く造られました。当時は日本の首都が東京に移ると共に、東京を世界に通用する首都にするという考えのもと、膨大な投資がなされたのでしょう。
午後4時半過ぎに訪れてみると、門は閉まっておりひっそりとしていました。ここも東京国立博物館と同じく、明治時代初期に湯島聖堂内に造られた博物館が起源となっています。
敷地内には蒸気機関車が静態保存されています。
上野公園内を南へ歩いて「国立西洋美術館」へ向かいます。この美術館が造られたのは意外と新しく、昭和34年(1959年)です。戦前の株式会社川崎造船所の社長松方幸次郎氏がヨーロッパで集めていた絵画や彫刻等の「松方コレクション」を収蔵する目的で建設されました。
コレクションは第二次世界大戦後に敵国資産としてフランス政府に差し押さえられていましたが、昭和28年(1953年)に日本に返還されることが決定します。フランス側が返還する条件として「フランス美術館」を日本に造ってほしいと要求してきました。
オーギュスト・ロダン作「地獄の門」。
昭和29年(1954年)、日本政府内において「松方氏旧蔵コレクションの受入れについて」閣議決定があり、国立の美術館を新設すること、敷地は上野公園地域内にすること等の施策が認められます。その後国立フランス美術館(仮称)の建築設計者としてル・コルビジェ氏を中心にすることが決定されました。
昭和34年(1959年)の1月にフランス政府─日本政府間の松方コレクション寄贈返還の正式調印がなされ、同年3月に国立西洋美術館の建物が落成します。そして同年6月に当時の首相である岸信介氏の臨席のもと、盛大に開館式が挙行されました。
午後5時前の上野公園、西日の強烈な光が敷地全体に差し込んできますが、新緑の木々が光を防いでくれます。いつのまにかスターバックスのお店が開店していたので驚きました。帰宅して調べてみたところ、2012年4月18日にオープンした「スターバックス上の恩寵公園店」とのことでした。
鬱蒼とした緑が頭上を覆っている上野公園の散策道を歩いていきます。
上野公園の南端部に到着しました。上野駅南側から上野広小路にかけては繁華街が続いています。
ズームで撮影してみました。正面に見えるのは地下鉄銀座線上野広小路駅前にある「松坂屋上野店」。上野周辺については今後快晴の天気の日を選んでもう一度散策してみたいと思います。上野広小路駅前から湯島聖堂、東大附属病院、岩崎邸、不忍池等を回ってみたいと考えています。