愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

宇津山城(2) 静岡県湖西市

2021年03月18日 06時15分34秒 | 静岡県
正太寺墓地と案内掲示板
山の頂上付近に墓地があり、その西側には、土塁がありました。

墓地西側の土塁

この墓地の奥に宇津山城の案内掲示板がありました。左上の図は、正太寺に残っていた古図です。左下の図は、湖西市教育委員会の図で、「静岡の山城ベスト50を歩く」の加藤理文さんの図と同じ図です。

宇津山城案内掲示板

掲示板の裏は、早速土塁がありました。画像の、この土塁の右側は堀切ということでしたが、確認できませんでした。

案内掲示板の裏の土塁

石垣で造られた西側の城
ここから案内の矢印に沿って、北の方に進んで行きますと、左側に土塁のようなものがあり、内側に石垣が貼ってありました。外側には石垣はありませんでした。高さは、ちょうど人間の目の高さぐらいでした。この石垣付き土塁が曲輪の左側(西側)に延々と続いていました。先の宇津山城概要図のⅢ郭の西側はずっと石垣付き土塁でした。
「余語君のホームページ」では、「鉄砲陣地を意識した構造ではないだろうか。土塁の高さは、1.2mほどであり、狙撃手が立って塁上に銃を構えるのにちょうどよい高さとなっているのである。鉄砲狭間の代わり、といったところである。」という解釈をしていました。

Ⅲ郭西側の石垣付き土塁

この石垣付き土塁の突き当りは、図で言うⅢ郭になります。Ⅲ郭は土塁で囲まれており、この西側の城の中心のような存在だと思いました。(概要図では、南側の墓地の辺りをⅠ郭としています)

海まで続く石垣付き段曲輪
さらに驚いたのは、Ⅲ郭の周囲に腰曲輪がひな壇のように続いていたことです。概要図では、3段ほど記されていましたが、下まで降りてみると、全体で、6段曲輪が階段状に続いていました。その段のたての部分、海に向かっている部分は石垣が貼ってありました。6段全てでした。海まで続いている印象でした。

Ⅲ郭西側の段曲輪の石垣

同じくⅢ郭西側の段曲輪の石垣

Ⅲ郭が中心部分か
西側の鉄壁な守りに感動して、Ⅲ郭の東側に行くと、今度はなにやら外枡形の虎口らしいものに出くわしました。

外枡形虎口っぽい遺構(概要図の(4)にあたる部分が左側、Ⅱ郭にあたる部分が右側、間には木が並んで生えていました。)

Ⅲ郭は周りを土塁で囲まれていて、おそらく一番高いところだと思います。

Ⅲ郭を囲む土塁

東側の城登れず
宇津山城西側の城を堪能し、東側の城へと移動を開始しました。しかし、登り口が分からず、藪の中を1時間ほど彷徨ってしまい(おそらく城の南側斜面を彷徨っていたのだと思います)、時間のこともありましたので、東側の城の見学は、またの機会にすることにしました。残念

宇津山城 おしまい


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