そうそう、久々に笑ネタが書けるなぁって
昨日の夜思っていたんでした。
すっかり忘れていました。
タイトルの意味ですけども
昨日の夜にGoro’sBarを見ようかと思っていたんですが
チャンネルをパチパチしていたら、
NHKに食いついてしまいました。
(受信料は払っています)
「その時歴史が動いた」とかいう番組だったと思いますけど
「エンタツ・アチャコ」さんのお話でした
(知ってますか?)
横山エンタツさんと花菱アチャコさんです。
初めてしゃべくり漫才をしたコンビです。
それまで万才というのは、歌や楽器の演奏を聞かせるもので、
”自分はこういう芸があるんだすごいだろう”
というのを客に見せるものでした。
しゃべくり漫才は現在のお笑い番組同様
見る人を楽しませる・幸せにさせる
自分達の話を聞いてもらう
というものでした。
最初は誰も聞く耳を持たず苦労されたそうです。
ゲストがいとし・こいしさんの弟の喜味こいし師匠です。
お兄様の夢路いとし師匠が他界されて3年になります。
いつの間にやら白くて立派なおひげが・・・
笑いの仙人にも見えました。
いとし・こいしのお二人は10代前半で弟子入りされたそうで、
その時は当時の万才をしているところへ弟子入りされたそうですが
そこのお師匠さんが、これからはエンタツ・アチャコさんのように
しゃべくり漫才の時代がくるから、そっちを勉強しなさいと言ってくださったそうです。
今で言う中学生がしゃべくり漫才の勉強・・・弟子入り・・・
すごい話ですね。
伝統芸の歌舞伎・能・狂言・落語などは
中学生か、もしくは物心ついた頃から習っているはずですが
最近の漫才は高校卒業かそれ以上の場合が多いはずです。
時代ですかね。
エンタツ・アチャコは今では当たり前のネタ集めを
一般の人たちがたくさん集まる銭湯へ行き、耳を傾けていたそうです。
時代背景や、家庭の様子からネタをつくり、
聞く人たちが共感を持てるようにしたと言うわけですね。
今では当たり前のことを最初にやる。
すごいことですね。
まだ、テレビはありませんでしたから、
日本中の人に聞いてもらうにはラジオしかなかったわけです。
お二人は吉本興業に所属されていましたが、
当時の吉本では売れっ子芸人さんのラジオ出演を禁止していたそうです。
ラジオで聞くことが簡単に出来ると、
寄席に人が来なくなるのではと思ったからだそうです。
それにも係らず吉本に内緒で初代の桂春団治さんをラジオ出演させたことで
さらに吉本はラジオ局に腹を立てたわけです。
どうしてもエンタツ・アチャコの面白さを日本中に広めたかったラジオ局は
吉本興業に謝罪して、和解したわけです。
吉本興業側も、ラジオの時代かなぁと
ちょうど考えていた時期でもあったようです。
エンタツ・アチャコ自体は短い期間のコンビだったようで、
その後はピンで活躍されたようです。
お二人が亡くなったのは私が生まれる前のことだったので
リアルタイムで見ることが出来ず、非常に残念に思います。
当時のネタは今聞いても面白いものです。
今の芸人さんのネタが何年先に聞いても面白いものが幾つあるのか
なんて考えたり。
最後のVTRでその後の漫才師の写真がでたんですけども、
エンタツ・アチャコの次に出たのがいとし・こいしさんの写真で
次が横山やすし・西川きよしのやすきよの写真でしたが
私がぶったまげたのは次に出た最後の写真が
中川家だったということです。
やすきよと中川家の間はないのですか?
確かに中川家は実力もあるし、本来の漫才らしい形をとっています。
おもわずテレビに向かってスゲーといってしまいました。
中川家の次に来るなら誰だろう?
とまで考えました。
リアルキッズ?いやいや・・・まぁ上手いけどね。
楽しみですね。
さて、前々からSMAPとお笑いをこよなく愛すと申しておりますが
今回はゴロちゃんよりエンタツ・アチャコが勝ったわけですね。
次にいつ見れるかわかりませんからね。
ゴロちゃんは録画を見れば済みますからね。
以前スマステで、エノケンの話をしていましたが
それにももちろん食いつきました。
根っからのお笑い好きです。
そういえば昨日の放送で言っていた
「南地花月」は今は無いのですか?
難波花月がメインですかね。
場所もよくわかりませんけどね。
どさんこなもので・・・
生まれ変わるなら関西人になりたいと願っています。
昨日の夜思っていたんでした。
すっかり忘れていました。
タイトルの意味ですけども
昨日の夜にGoro’sBarを見ようかと思っていたんですが
チャンネルをパチパチしていたら、
NHKに食いついてしまいました。
(受信料は払っています)
「その時歴史が動いた」とかいう番組だったと思いますけど
「エンタツ・アチャコ」さんのお話でした
(知ってますか?)
横山エンタツさんと花菱アチャコさんです。
初めてしゃべくり漫才をしたコンビです。
それまで万才というのは、歌や楽器の演奏を聞かせるもので、
”自分はこういう芸があるんだすごいだろう”
というのを客に見せるものでした。
しゃべくり漫才は現在のお笑い番組同様
見る人を楽しませる・幸せにさせる
自分達の話を聞いてもらう
というものでした。
最初は誰も聞く耳を持たず苦労されたそうです。
ゲストがいとし・こいしさんの弟の喜味こいし師匠です。
お兄様の夢路いとし師匠が他界されて3年になります。
いつの間にやら白くて立派なおひげが・・・
笑いの仙人にも見えました。
いとし・こいしのお二人は10代前半で弟子入りされたそうで、
その時は当時の万才をしているところへ弟子入りされたそうですが
そこのお師匠さんが、これからはエンタツ・アチャコさんのように
しゃべくり漫才の時代がくるから、そっちを勉強しなさいと言ってくださったそうです。
今で言う中学生がしゃべくり漫才の勉強・・・弟子入り・・・
すごい話ですね。
伝統芸の歌舞伎・能・狂言・落語などは
中学生か、もしくは物心ついた頃から習っているはずですが
最近の漫才は高校卒業かそれ以上の場合が多いはずです。
時代ですかね。
エンタツ・アチャコは今では当たり前のネタ集めを
一般の人たちがたくさん集まる銭湯へ行き、耳を傾けていたそうです。
時代背景や、家庭の様子からネタをつくり、
聞く人たちが共感を持てるようにしたと言うわけですね。
今では当たり前のことを最初にやる。
すごいことですね。
まだ、テレビはありませんでしたから、
日本中の人に聞いてもらうにはラジオしかなかったわけです。
お二人は吉本興業に所属されていましたが、
当時の吉本では売れっ子芸人さんのラジオ出演を禁止していたそうです。
ラジオで聞くことが簡単に出来ると、
寄席に人が来なくなるのではと思ったからだそうです。
それにも係らず吉本に内緒で初代の桂春団治さんをラジオ出演させたことで
さらに吉本はラジオ局に腹を立てたわけです。
どうしてもエンタツ・アチャコの面白さを日本中に広めたかったラジオ局は
吉本興業に謝罪して、和解したわけです。
吉本興業側も、ラジオの時代かなぁと
ちょうど考えていた時期でもあったようです。
エンタツ・アチャコ自体は短い期間のコンビだったようで、
その後はピンで活躍されたようです。
お二人が亡くなったのは私が生まれる前のことだったので
リアルタイムで見ることが出来ず、非常に残念に思います。
当時のネタは今聞いても面白いものです。
今の芸人さんのネタが何年先に聞いても面白いものが幾つあるのか
なんて考えたり。
最後のVTRでその後の漫才師の写真がでたんですけども、
エンタツ・アチャコの次に出たのがいとし・こいしさんの写真で
次が横山やすし・西川きよしのやすきよの写真でしたが
私がぶったまげたのは次に出た最後の写真が
中川家だったということです。
やすきよと中川家の間はないのですか?
確かに中川家は実力もあるし、本来の漫才らしい形をとっています。
おもわずテレビに向かってスゲーといってしまいました。
中川家の次に来るなら誰だろう?
とまで考えました。
リアルキッズ?いやいや・・・まぁ上手いけどね。
楽しみですね。
さて、前々からSMAPとお笑いをこよなく愛すと申しておりますが
今回はゴロちゃんよりエンタツ・アチャコが勝ったわけですね。
次にいつ見れるかわかりませんからね。
ゴロちゃんは録画を見れば済みますからね。
以前スマステで、エノケンの話をしていましたが
それにももちろん食いつきました。
根っからのお笑い好きです。
そういえば昨日の放送で言っていた
「南地花月」は今は無いのですか?
難波花月がメインですかね。
場所もよくわかりませんけどね。
どさんこなもので・・・
生まれ変わるなら関西人になりたいと願っています。
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