おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

マンツーマン

2010年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム
世界の北野がテレビで言っていた
 
年金制度
将来一人で一人を支えるようになるんだったら
誰を支えるか自分で選びたい!と
 
さすがは世界のビートたけし!
中学生の頃、同級生でもセンスがいいと
評判の友人が
ツービートの本を持ってきていたのを見て以来
センスがいい人が選ぶんだから
この武と言う人は、よほどセンスがいいんだろうと
思っていたが
いま改めて、そのセンスに感嘆した
 

 
自分でも少し考えてみた
 
朝市とか、大きな野菜専門スーパーみたいな
ところでは、産地直送で
しかも、誰が作ったのか
野菜に顔写真が貼ってある
 
「私が作りました!」
 
的なプロフィールがあって
安心感と言うか、手に取った野菜を通じて
繋がっている、この人が一生懸命作った野菜なんだと
実感できる
 
世の中のすべてのモノは
誰かが作り出し、それに携わる人は
必ずいるはずなのに
顔が見えないことのほうが多い
 
これを年金制度に取り入れてはどうだろうか?
 
自分が支えるであろう個人を選べないとしても
誰を支えているのか、誰に支えられているのかは
実際にわかればお互いに励みになる
 
「オレは、この人を支えているのか!」
 
「ワシは、この人に支えてもらっておるのじゃの」
 
と、目に見えぬ繋がりを感じ、お互いに
緊張感ある生活が出来るんじゃないだろうか
 
ただ
 
実際にはマンツーマンで支えているわけではなくて
一人が一人を支えるといった事を
具現化しただけであって
小学校で行われる敬老会のお知らせを
見知らぬ家に配達する高学年のお友達のような
関係だろう
 
もし、仮に
本当に個人が個人を支える未来が来たとしよう
僕が年老いたとき、一通の通知が届く
そこには、一枚の写真と、短い文章が
 
“彼が未納のため、貴方への年金は支払えません”
 
笑顔で写る彼を、僕はどんな思いで見つめるだろうか
 
 
 


コメント
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