今日は、先日見た、映画の感想を♪
実は、映画レビュー、色々溜め込んでます(^^;
という訳で。
『豆富小僧』。
これ、原作は京極夏彦さんの小説『豆腐小僧』。
でも、舞台は小説のように江戸時代ではなくて、現代!
現代の日本と妖怪・・・。
面白い組み合わせですよね!
京極作品ファンとしては、とても気になっていた作品です。
因みに。
「豆腐小僧」という妖怪は、どんな妖怪なのでしょう?
小さな男の子の姿で、豆腐の乗ったお盆を両手で持っている・・・という妖怪だそう。
何か悪いことをする訳でもなく、ただ、豆腐を持って、そこに存在しているだけの妖怪。
江戸時代には、大変人気があったキャラクターのようで、黄表紙(今で言うところ大人向け漫画)で描かれていたり、歌舞伎になったり、双六や玩具にもなっていたそう。
本当に、今で言うところの「キャラ物」って感じかな?
ピカチュウとか・・・みたいな?
そんな江戸時代に大人気だった妖怪キャラを使った物語。
面白かったですよ!
映画の物語、冒頭は江戸時代から始まります。
主人公の豆富小僧は、この世で一番怖くない妖怪。
人間を怖がらせないといけないのに、怖がらせるどころか、笑われてしまう始末。
そんな豆富小僧に腹を立てた、父親の見越し入道は、「人間に笑われるなんて、言語道断!!」と彼をキツク叱るのでした。
妖怪としても半人前、父親にもキツク叱られ・・・ショックを受けた豆富小僧は、家出を決意。
彼のお目付役の達磨と共に、既に消えてしまったという、母親を捜す旅に出るのでした。
しかし。
妖怪一族と対立しているタヌキ一族に、見事に騙されてしまう豆富小僧。
彼は、タヌキによって、お堂に閉じこめられてしまい、そのお堂にはお札を貼られ・・・外に出られなくなってしまうのでした。
とはいえ、いつかは出られるだろうと、持ち前のノンビリした性格で、お堂の中で、達磨とにらめっこをして遊んで待つことに。
すると・・・。
いきなり、ショベルカーがお堂をぶち壊し、ついに、お外に出ることが出来ました!!
・・・・・・って。
ショベルカー?????
そう。
豆富小僧と達磨は、なんと200年もの間、お堂に閉じこめられ、にらめっこをして遊んでいたのです。
で。
豆富と達磨が見た外の世界は、彼らが知っている世界とは全然違っていました。
高い高い建物。
車。排気ガス。
山や森や土の無い風景。
せわしなく動き回る人間。
そして、何より、妖怪達の姿が見当たりません。
そんな時に、かつての妖怪仲間だった死神に遭遇。
死神から、豆富が家出して200年もの時間が経ったこと、その間に人間は科学を発達させ、自然を壊し、夜も明るい世界を作り、妖怪を怖がらなくなったこと。
その結果、妖怪達の居場所がなくなり、妖怪一族達は散り散りになって隠れ暮らすようになったこと。
・・・などを教えて貰うのでした。
けれども、まだ、お母さんを捜すのを諦めない豆富小僧。
コンクリートの街を達磨と共に、お母さんを捜して、あっちこっち移動中。
妖怪を怖がらなくなった人間の目には、既に、彼らの姿は見えないのです。
そんな豆富と達磨は、彼ら妖怪を見ることが出来る少女・アイと出逢います。
そして、アイと友達になる豆富ですが・・・・・・。
私は3Dで見たのですが、3D良かったですよ~。
可愛い豆富ちゃんが、活き活きと動き回ってくれます!
もちろん、2Dでも、豆富ちゃんの可愛さは変わらないと思いますが(^^)b
原作小説とは違う、映画オリジナルストーリーということでしたし、京極さんの小説が原作という以外は前知識もないまま見ました。
なので、現代が舞台になったシーンでは、凄くビックリしました。
(でも、そう言われてみれば、予告編で現代っぽいシーンがあったかも)
まず、この映画の魅力は、豆富ちゃんが凄く可愛いこと!
小さな男の子の姿をしてて。
豆腐が乗ったお盆を、両手で大事そうに持ってます。
なので、常に、両手は塞がったまま。
ちょっと不便そうですね(^^;
因みに、この豆腐。
彼にとってはとても大切な物なのです。
なぜなら、その豆腐を手から離すと、彼は消えてしまう(人間で言うところの死)のですよ。
なので、どんな時も、一生懸命、必死に、大事に大事に豆腐を持っているのです。
時々、転んだりして、瞬間的に彼の手から豆腐が離れるときもあるのですが、そういう時は、段々半透明になっていって消えかかってる!!
なので、慌てて、豆腐を拾うのですよね(^^)
そんな豆富ちゃんが、とにかく可愛いのです。
一人称が「手前」っていうのも、凄く良い!
これだけ「可愛い」のだから、当然、人間を怖がらせることなんて到底無理。
しかも、お父さんが、妖怪一族のボスのような見越し入道なもんだから。
余計に、彼は「自分がダメな妖怪」っていうコンプレックスが強くなっちゃうのですよね。
ちょっと可哀相・・・。
そんな、妖怪として半人前の豆富ちゃんが、お母さんを捜す旅に出る。
でも、お母さんを捜すと同時に、それは、自分探しの旅でもあった気がします。
何をするのも、ちょっと間が抜けてて頼りないし、危なっかしげ。
そんな彼から目が離せません。
そして、お目付役の達磨との掛け合いも面白いです。
そんなちょっぴりダメっ子な彼ですが。
「人間にも、妖怪にも、必ず存在する意味はある。自分は何のために生まれてきたのか? 何の役に立てるのか?」
という事に気付き、最後は、人間の友達アイのために、勇気ある決断をすることになる訳ですが・・・。
あのシーンは、本当にウルウル来ちゃいました(;;)
妖怪なんだけど、怖くなくて、凄く心がピュア。
本当は人間を怖がらせなくてはいけない妖怪ですが。彼にとっては、人間も妖怪も分け隔てなく友達になれる素敵な能力があるようです。
それこそが、彼の個性で。
妖怪としては、ちょっと変わり者かもしれませんが・・・でも、だから良いのだなぁと思いましたです。
物語としては、とても単純なお話なのですが。
とにかく可愛い豆富ちゃんと、愉快な仲間達。
そして、ラストの感動シーンと。
心温まる映画でした。
そして、思ったのが。
山や森を切り開き、土をアスファルトにし。
高層ビル群を造り。
闇夜すらない世界を作り上げてしまった私達人間達。
確かに、こんな世の中なら、妖怪に遭遇する・・・とか無さそうですよね。
人間が妖怪を怖がらなくなった、というのも分かります。
でも、妖怪というのは、きっと、自然と共にあるもので。
今や、自然ですら自分たちの手中に収めたかのような人間ですが、妖怪を恐れる心=自然や動物を恐れる心でもあって。
この世界が人間のためだけにある訳ではないのですよね。
なんでも人間の思うように好き勝手出来ることはない。
自然や動物と共に、人間も生きている。
だからこそ、自然や動物とも共存しなくてはいけない訳ですし、それが出来れば、妖怪は怖い存在ではなく、人間の友達になるのではないかなぁと。
そんな風に感じました。
実は、映画レビュー、色々溜め込んでます(^^;
という訳で。
『豆富小僧』。
これ、原作は京極夏彦さんの小説『豆腐小僧』。
でも、舞台は小説のように江戸時代ではなくて、現代!
現代の日本と妖怪・・・。
面白い組み合わせですよね!
京極作品ファンとしては、とても気になっていた作品です。
因みに。
「豆腐小僧」という妖怪は、どんな妖怪なのでしょう?
小さな男の子の姿で、豆腐の乗ったお盆を両手で持っている・・・という妖怪だそう。
何か悪いことをする訳でもなく、ただ、豆腐を持って、そこに存在しているだけの妖怪。
江戸時代には、大変人気があったキャラクターのようで、黄表紙(今で言うところ大人向け漫画)で描かれていたり、歌舞伎になったり、双六や玩具にもなっていたそう。
本当に、今で言うところの「キャラ物」って感じかな?
ピカチュウとか・・・みたいな?
そんな江戸時代に大人気だった妖怪キャラを使った物語。
面白かったですよ!
映画の物語、冒頭は江戸時代から始まります。
主人公の豆富小僧は、この世で一番怖くない妖怪。
人間を怖がらせないといけないのに、怖がらせるどころか、笑われてしまう始末。
そんな豆富小僧に腹を立てた、父親の見越し入道は、「人間に笑われるなんて、言語道断!!」と彼をキツク叱るのでした。
妖怪としても半人前、父親にもキツク叱られ・・・ショックを受けた豆富小僧は、家出を決意。
彼のお目付役の達磨と共に、既に消えてしまったという、母親を捜す旅に出るのでした。
しかし。
妖怪一族と対立しているタヌキ一族に、見事に騙されてしまう豆富小僧。
彼は、タヌキによって、お堂に閉じこめられてしまい、そのお堂にはお札を貼られ・・・外に出られなくなってしまうのでした。
とはいえ、いつかは出られるだろうと、持ち前のノンビリした性格で、お堂の中で、達磨とにらめっこをして遊んで待つことに。
すると・・・。
いきなり、ショベルカーがお堂をぶち壊し、ついに、お外に出ることが出来ました!!
・・・・・・って。
ショベルカー?????
そう。
豆富小僧と達磨は、なんと200年もの間、お堂に閉じこめられ、にらめっこをして遊んでいたのです。
で。
豆富と達磨が見た外の世界は、彼らが知っている世界とは全然違っていました。
高い高い建物。
車。排気ガス。
山や森や土の無い風景。
せわしなく動き回る人間。
そして、何より、妖怪達の姿が見当たりません。
そんな時に、かつての妖怪仲間だった死神に遭遇。
死神から、豆富が家出して200年もの時間が経ったこと、その間に人間は科学を発達させ、自然を壊し、夜も明るい世界を作り、妖怪を怖がらなくなったこと。
その結果、妖怪達の居場所がなくなり、妖怪一族達は散り散りになって隠れ暮らすようになったこと。
・・・などを教えて貰うのでした。
けれども、まだ、お母さんを捜すのを諦めない豆富小僧。
コンクリートの街を達磨と共に、お母さんを捜して、あっちこっち移動中。
妖怪を怖がらなくなった人間の目には、既に、彼らの姿は見えないのです。
そんな豆富と達磨は、彼ら妖怪を見ることが出来る少女・アイと出逢います。
そして、アイと友達になる豆富ですが・・・・・・。
私は3Dで見たのですが、3D良かったですよ~。
可愛い豆富ちゃんが、活き活きと動き回ってくれます!
もちろん、2Dでも、豆富ちゃんの可愛さは変わらないと思いますが(^^)b
原作小説とは違う、映画オリジナルストーリーということでしたし、京極さんの小説が原作という以外は前知識もないまま見ました。
なので、現代が舞台になったシーンでは、凄くビックリしました。
(でも、そう言われてみれば、予告編で現代っぽいシーンがあったかも)
まず、この映画の魅力は、豆富ちゃんが凄く可愛いこと!
小さな男の子の姿をしてて。
豆腐が乗ったお盆を、両手で大事そうに持ってます。
なので、常に、両手は塞がったまま。
ちょっと不便そうですね(^^;
因みに、この豆腐。
彼にとってはとても大切な物なのです。
なぜなら、その豆腐を手から離すと、彼は消えてしまう(人間で言うところの死)のですよ。
なので、どんな時も、一生懸命、必死に、大事に大事に豆腐を持っているのです。
時々、転んだりして、瞬間的に彼の手から豆腐が離れるときもあるのですが、そういう時は、段々半透明になっていって消えかかってる!!
なので、慌てて、豆腐を拾うのですよね(^^)
そんな豆富ちゃんが、とにかく可愛いのです。
一人称が「手前」っていうのも、凄く良い!
これだけ「可愛い」のだから、当然、人間を怖がらせることなんて到底無理。
しかも、お父さんが、妖怪一族のボスのような見越し入道なもんだから。
余計に、彼は「自分がダメな妖怪」っていうコンプレックスが強くなっちゃうのですよね。
ちょっと可哀相・・・。
そんな、妖怪として半人前の豆富ちゃんが、お母さんを捜す旅に出る。
でも、お母さんを捜すと同時に、それは、自分探しの旅でもあった気がします。
何をするのも、ちょっと間が抜けてて頼りないし、危なっかしげ。
そんな彼から目が離せません。
そして、お目付役の達磨との掛け合いも面白いです。
そんなちょっぴりダメっ子な彼ですが。
「人間にも、妖怪にも、必ず存在する意味はある。自分は何のために生まれてきたのか? 何の役に立てるのか?」
という事に気付き、最後は、人間の友達アイのために、勇気ある決断をすることになる訳ですが・・・。
あのシーンは、本当にウルウル来ちゃいました(;;)
妖怪なんだけど、怖くなくて、凄く心がピュア。
本当は人間を怖がらせなくてはいけない妖怪ですが。彼にとっては、人間も妖怪も分け隔てなく友達になれる素敵な能力があるようです。
それこそが、彼の個性で。
妖怪としては、ちょっと変わり者かもしれませんが・・・でも、だから良いのだなぁと思いましたです。
物語としては、とても単純なお話なのですが。
とにかく可愛い豆富ちゃんと、愉快な仲間達。
そして、ラストの感動シーンと。
心温まる映画でした。
そして、思ったのが。
山や森を切り開き、土をアスファルトにし。
高層ビル群を造り。
闇夜すらない世界を作り上げてしまった私達人間達。
確かに、こんな世の中なら、妖怪に遭遇する・・・とか無さそうですよね。
人間が妖怪を怖がらなくなった、というのも分かります。
でも、妖怪というのは、きっと、自然と共にあるもので。
今や、自然ですら自分たちの手中に収めたかのような人間ですが、妖怪を恐れる心=自然や動物を恐れる心でもあって。
この世界が人間のためだけにある訳ではないのですよね。
なんでも人間の思うように好き勝手出来ることはない。
自然や動物と共に、人間も生きている。
だからこそ、自然や動物とも共存しなくてはいけない訳ですし、それが出来れば、妖怪は怖い存在ではなく、人間の友達になるのではないかなぁと。
そんな風に感じました。