自然災害と規制基準
梅雨末期の豪雨、台風災害、毎年のように自然災害に襲われる。
大きな災害の都度、設備増強、気象観測システムの強化、規制基準の設定、用語が生まれてきた。戦後すぐは気象庁の職員が経験とデーターで予想を立てた。
今はアメダスの情報、気象衛星、スーパーコンビューでの解析で精度は格段にあがった。
特筆すべき災害 なかでも小学生でテレビも無かったが記憶には残っている。
- 洞爺丸事故
1954年9月26日(昭和29年) 国鉄青函連絡船 洞爺丸が台風接近中に函館港を出港
港では風速が17m/sだった。 港をでて数百メートルで40m/s(瞬間風速50m/s)風と波 受ける。貨物列車も積みこめるのでゲートのシールが甘く、浸水してくる。機関室にも浸水投炭もできず錨を降ろすが効かず走行する。
海底の砂地に座礁し錨のチェーンが切れ傾く列車が転倒し船体も復元力を失い転倒腹を上に向けて沈没 死者1155人 船舶最大の事故
9/26日から27日は台風災害の特異日となる。
後にりんご台風と呼ばれた1991年(平成3年)の台風19号と同様な進路をたどり偏西風にのり時速80km/hで進行し北海道近辺でも風速40m/s勢力を保つ。
りんご台風も9月26日から27日に掛けて通過
現在では台風接近時、停船勧告がでる。
- 伊勢湾台風 1959年(昭和34年) 9月26日
台風の勢力として第二室戸台風に次ぐ大型台風
台風による吹き寄せ効果と河川増水で犠牲者5098人の台風による最悪の被害者をだした。
多くの報道写真があったが毎日新聞の二階建の屋根の上に犬が一匹棟に残されている。見るだけでどこまで水位が来たか分かる写真だ。
名古屋には海面より2メートル3メートル低い土地もあった。水没で多くの被害者をだした。濃尾平野は木曽川、長良川、揖斐川が合流している。川との間の平野は輪中といわれ堤防が決壊や越流で水没し被害者をだした。
ずっと後に高潮を吹き寄せ効果、川の流れを抑えられるのをバックウォーター現象と呼ばれた。
- 飛騨川バス転落事故
1968年(昭和48年)8月 台風通過後の水蒸気たっぷりの空気と冷気で豪雨となる。
一時間114mmの豪雨 名古屋から15台の観光バスで乗鞍スカイラインのご来光を見学ツアー
余りにも雨が酷いのでは引き返し。飛騨川沿いの渓谷を引き返すのに消防団から危険と指摘される。それでも引き返す、5号6号車が土石流に巻き込まれ20メート下の飛騨川に転落し104人が死亡 バス事故最大の犠牲者となる。私も下呂温泉に向かなう時に走った事がある。この後に大雨時の通行止めの規制値が制定された。
国道、高速道路で区間毎に定められている。1時間降雨量、一日累計 通算累計量
危険な箇所はゲート閉鎖
台風通過後の豪雨は2018年7月の西日本豪雨と同じだと思った。異常な湿度が続いた。
台風通過後は異常な湿気を運んでくる。
4.長崎水害 1982年(昭和57年)7月23日
雨量一時間187mm 通算572mmの降雨
坂のアーケード街を一メートルの高さで流れた。
この頃は湿舌と言われたが、今だと線状降水帯というのだろう。
線状降水帯と言われたのは広島市安佐南区の豪雨災害からか
- 餘部鉄橋列車転落事故 山陰線兵庫県 1986年(昭和61年)12月 客車の回送列車
風速33m/sの風にあおられ40メートル下に脱線転落 下の蟹加工場に落ち6人が死亡 国鉄は台風接近時や、風速20m/s以上で通行止め
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