ぐらりと大きく視界が揺れた。
地震。
もう寝るかと布団に入った矢先のことだ。びりびりと緊急警報が鳴った。跳ね起きて、枕もとの携帯を見ると5分以内に大きな揺れがくると表示されている。
ベッドから飛び降りた。
携帯、財布を引っつかみ、スリッパをつっ掛け、いつでも外に飛び出せる体勢を取る。ドアを開け、廊下に首を出すと他の部屋の連中も同じような格好で顔を突き出していた。目が合う。
来るのか、と隣の部屋の同期が口を開きかけたとき、きた。
がつんと、隕石が屋根にぶつかったような、衝撃が。
「うわ!」
くると分かって身構えていても、動揺する。ドアを手で押さえ、バランスを取る。足を踏ん張らなければ、よろめいてしまいそうだ。
窓が、がたがたと音を立てる。でかい。
そして、長い。
これは……。
背中に冷たいものが流れたとき、ふつっと視界がブラックアウトした。
「えっ」
「うわ」
まじかよ、と暗闇で舌打ちが聞こえる。
停電だ。
それぐらい、大きい地震ということだ。まだ足元が大きく揺れている。
手塚はとっさに窓の外に目をやった。あたり一面暗がりだ。
寮(うち)だけじゃない。街全体が、停電になっている。
手塚は部屋の中にとって返し、手探りで懐中電灯を取る。電池はしっかり入れてあった。震災のあと、備えは万全にしてある。
スイッチを入れると手元にだけ光が戻った。手塚は足元をそれで照らし、また廊下に出て「大丈夫か」と隣近所に声をかけた。
「手塚か、まいったな」
幾分青ざめた顔で、隣の同期が答える。
揺れは収まったが、代わりに寮内がざわつき始めた。
電気が止まると、一時期パニックになるのは常だ。手塚は階下を気にしながら訊いた。
「被害は」
「俺んとこは何も。高いところに何も置いてないし」
「俺も。でも寮内、点検に出たほうがいいよな」
破損物があるかもしれない。寮母さんももしかしたら困っているかもしれない。
それより何より、気になることがあった。
「俺、ちょっと下に行ってくる」
「お前、それ、準備いいな、ほんと」
感心したように言う。お前、このフロア頼むな、と言い残して階段に向かった。おう、気をつけてな、と声が背中に返ってくる。
自然と急ぎ足になってしまう。途中、行き違う何人かに声を掛けられたが、生返事になった。
柴崎。
一番、気になった。女子寮の様子は分からないが。
大丈夫だろうか。地震とその後の停電で、不安になってないか、困ってはいないか。
何事もなければいいが。
暗くて覚束ない足元を照らす電灯がぶれたのは、決して急いだためだけではない。
「柴崎」
共有スペースは、結構な人でごった返していた。
電気が止まったことで、部屋にいるのが心細いのだろう。余震の心配もある。集まっているのは女の人のほうが多かったが、その中でも柴崎の姿はすぐに分かった。
緑色の誘導灯と、自分が持ち出した懐中電灯のあかりのおかげで。
水色のパジャマに紫色のストールを引っ掛けて、闇と同化するみたいに柴崎は観葉植物のわきに立っていた。
歩み寄って声を掛けると、ほっとしたように表情を緩ませた。
「手塚」
「大丈夫か」
「へいき。あんたは」
「俺はなんとも。でかい地震だったな」
「停電は久しぶりね。部屋のものは、いくつか落ちたけど」
「電話が死んでる」
地震情報を得ようと携帯をだしたが、ネットも通話も不可能だった。
液晶が人工的な光で柴崎の頬を照らす。青白い顔が浮かび上がる。
「ずっと前からよ。メールもだめ」
自分の携帯も確かめて、柴崎はストールの中にそれを戻した。
「安否が心配なやつがいるのか」
「イナカから電話がかかってくるかと思って。心配してるんじゃないかって」
「ああ、そうか」
県外から越境してるやつは、そういう連絡も入るのか、と納得。
あんたこそ、と柴崎は言葉を継いだ。
「おうちのほう、心配ね。お兄さんも」
「うちはたぶん、大丈夫。耐震対策、親父がちゃんとしてるから。お袋のことも見てくれるはずだし。慧は、あいつは別に気を使わなくても平気だろう」
停電ぐらいじゃ、毒にも薬にもならないよと減らず口。
「なにそれ」
柴崎はもっと何か言いたそうだったが、そこで水を差される。
「手塚」
男子寮の寮長が懐中電灯の明かりを目指して近寄ってきた。話に割り込む。
「用意周到だな、お前。私物か、それ」
これからあちこち点検行くんで、貸してくれんか、と。
「俺も行きます。手が要るでしょう」
「助かる。寮母さんも食堂のほう見てくるって言ってた。食器とかな、割れ物あるからな、あそこ」
もしかしたら片すの手伝わなきゃならんかもしれん。寮長は渋い顔で言った。
「足、何か履いとけよ。って、もう履いてるか」
「はい。あと、ここの皆に指示を出していったほうがいいと思います。復旧するまで各自の部屋で待つとか、余震がきたら、速やかに外に出るとか」
「そうだな。なんだかお前、言動が寮長みたいだな」
苦笑している。あてこすりではないとみえたが、手塚は「非常時ですから。出しゃばったら、すみません」と一応謝っておく。
手塚の言うとおり、寮長は共有スペースの連中に声を掛けて、めいめい、部屋に引き取るよう伝える。「停電はしてるけど、被害は大きくなさそうだから、心配しないでいい。パニックになるなよ」と。
「こういうときこそ、普段の訓練が生きるんだぞ。心しろ」
それから二人、肩を並べて行きかけて、ふと手塚が足を止める。
後ろを見やると、柴崎が「行って」と静かに言った。
「すまん」
傍にいてやりたい。せめて電気が復旧するまで。
でも……
「いいの」
暗くてよく分からないが、ひっそり笑っているように見えた。
「部屋に戻ってればいいのね。余震に備えて」
「それがいいと思う。足、何か履いておくんだぞ」
柴崎は素足だった。取るものもとりあえず、ここに駆けつけたらしかった。
白いつま先を見ていたら、胸が締め付けられそうになった。
幼い女の子をひとり異国に残していくような、心もとなさが手塚を襲う。
「了解。通帳とか非常食とかも確保しとくわ」
しかし柴崎は背筋を伸ばして敬礼して見せた。ぴしっと決める。
「行ってらっしゃい。気をつけるのよ」
いつも、柴崎はこうやって送り出してくれる。
俺の背中を。
あのときも。茨城の県展護衛の際も。震災復興支援で、東北に駆り出されたときも。
いつだって、凛とした声で背中を押してくれる。
郷愁に近いものが、手塚の胸を掠める。
彼は短く答えた。
「行ってくる。部屋にいろよ」
「ん」
柴崎が頷くのを見届けて、手塚は数歩先で待つ寮長に駆け寄る。二人のやりとりを見ていた彼は、手塚に向かって小声で訊いた。
「なあ、ちゃんと聞いたことなかったけど、お前たちって、つきあってるのか」
みんな言ってるけど。とごにょごにょと語尾を濁す。
手塚は「いいえ」と否定した。
「ふうん、でも今のって、まんま恋人同士の会話だがな」
疑念を滲ませて寮長は言った。
手塚は、
「そうだったらいいんですけどね」
と闇に向かってそっと本音を滲ませた。
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地震。
もう寝るかと布団に入った矢先のことだ。びりびりと緊急警報が鳴った。跳ね起きて、枕もとの携帯を見ると5分以内に大きな揺れがくると表示されている。
ベッドから飛び降りた。
携帯、財布を引っつかみ、スリッパをつっ掛け、いつでも外に飛び出せる体勢を取る。ドアを開け、廊下に首を出すと他の部屋の連中も同じような格好で顔を突き出していた。目が合う。
来るのか、と隣の部屋の同期が口を開きかけたとき、きた。
がつんと、隕石が屋根にぶつかったような、衝撃が。
「うわ!」
くると分かって身構えていても、動揺する。ドアを手で押さえ、バランスを取る。足を踏ん張らなければ、よろめいてしまいそうだ。
窓が、がたがたと音を立てる。でかい。
そして、長い。
これは……。
背中に冷たいものが流れたとき、ふつっと視界がブラックアウトした。
「えっ」
「うわ」
まじかよ、と暗闇で舌打ちが聞こえる。
停電だ。
それぐらい、大きい地震ということだ。まだ足元が大きく揺れている。
手塚はとっさに窓の外に目をやった。あたり一面暗がりだ。
寮(うち)だけじゃない。街全体が、停電になっている。
手塚は部屋の中にとって返し、手探りで懐中電灯を取る。電池はしっかり入れてあった。震災のあと、備えは万全にしてある。
スイッチを入れると手元にだけ光が戻った。手塚は足元をそれで照らし、また廊下に出て「大丈夫か」と隣近所に声をかけた。
「手塚か、まいったな」
幾分青ざめた顔で、隣の同期が答える。
揺れは収まったが、代わりに寮内がざわつき始めた。
電気が止まると、一時期パニックになるのは常だ。手塚は階下を気にしながら訊いた。
「被害は」
「俺んとこは何も。高いところに何も置いてないし」
「俺も。でも寮内、点検に出たほうがいいよな」
破損物があるかもしれない。寮母さんももしかしたら困っているかもしれない。
それより何より、気になることがあった。
「俺、ちょっと下に行ってくる」
「お前、それ、準備いいな、ほんと」
感心したように言う。お前、このフロア頼むな、と言い残して階段に向かった。おう、気をつけてな、と声が背中に返ってくる。
自然と急ぎ足になってしまう。途中、行き違う何人かに声を掛けられたが、生返事になった。
柴崎。
一番、気になった。女子寮の様子は分からないが。
大丈夫だろうか。地震とその後の停電で、不安になってないか、困ってはいないか。
何事もなければいいが。
暗くて覚束ない足元を照らす電灯がぶれたのは、決して急いだためだけではない。
「柴崎」
共有スペースは、結構な人でごった返していた。
電気が止まったことで、部屋にいるのが心細いのだろう。余震の心配もある。集まっているのは女の人のほうが多かったが、その中でも柴崎の姿はすぐに分かった。
緑色の誘導灯と、自分が持ち出した懐中電灯のあかりのおかげで。
水色のパジャマに紫色のストールを引っ掛けて、闇と同化するみたいに柴崎は観葉植物のわきに立っていた。
歩み寄って声を掛けると、ほっとしたように表情を緩ませた。
「手塚」
「大丈夫か」
「へいき。あんたは」
「俺はなんとも。でかい地震だったな」
「停電は久しぶりね。部屋のものは、いくつか落ちたけど」
「電話が死んでる」
地震情報を得ようと携帯をだしたが、ネットも通話も不可能だった。
液晶が人工的な光で柴崎の頬を照らす。青白い顔が浮かび上がる。
「ずっと前からよ。メールもだめ」
自分の携帯も確かめて、柴崎はストールの中にそれを戻した。
「安否が心配なやつがいるのか」
「イナカから電話がかかってくるかと思って。心配してるんじゃないかって」
「ああ、そうか」
県外から越境してるやつは、そういう連絡も入るのか、と納得。
あんたこそ、と柴崎は言葉を継いだ。
「おうちのほう、心配ね。お兄さんも」
「うちはたぶん、大丈夫。耐震対策、親父がちゃんとしてるから。お袋のことも見てくれるはずだし。慧は、あいつは別に気を使わなくても平気だろう」
停電ぐらいじゃ、毒にも薬にもならないよと減らず口。
「なにそれ」
柴崎はもっと何か言いたそうだったが、そこで水を差される。
「手塚」
男子寮の寮長が懐中電灯の明かりを目指して近寄ってきた。話に割り込む。
「用意周到だな、お前。私物か、それ」
これからあちこち点検行くんで、貸してくれんか、と。
「俺も行きます。手が要るでしょう」
「助かる。寮母さんも食堂のほう見てくるって言ってた。食器とかな、割れ物あるからな、あそこ」
もしかしたら片すの手伝わなきゃならんかもしれん。寮長は渋い顔で言った。
「足、何か履いとけよ。って、もう履いてるか」
「はい。あと、ここの皆に指示を出していったほうがいいと思います。復旧するまで各自の部屋で待つとか、余震がきたら、速やかに外に出るとか」
「そうだな。なんだかお前、言動が寮長みたいだな」
苦笑している。あてこすりではないとみえたが、手塚は「非常時ですから。出しゃばったら、すみません」と一応謝っておく。
手塚の言うとおり、寮長は共有スペースの連中に声を掛けて、めいめい、部屋に引き取るよう伝える。「停電はしてるけど、被害は大きくなさそうだから、心配しないでいい。パニックになるなよ」と。
「こういうときこそ、普段の訓練が生きるんだぞ。心しろ」
それから二人、肩を並べて行きかけて、ふと手塚が足を止める。
後ろを見やると、柴崎が「行って」と静かに言った。
「すまん」
傍にいてやりたい。せめて電気が復旧するまで。
でも……
「いいの」
暗くてよく分からないが、ひっそり笑っているように見えた。
「部屋に戻ってればいいのね。余震に備えて」
「それがいいと思う。足、何か履いておくんだぞ」
柴崎は素足だった。取るものもとりあえず、ここに駆けつけたらしかった。
白いつま先を見ていたら、胸が締め付けられそうになった。
幼い女の子をひとり異国に残していくような、心もとなさが手塚を襲う。
「了解。通帳とか非常食とかも確保しとくわ」
しかし柴崎は背筋を伸ばして敬礼して見せた。ぴしっと決める。
「行ってらっしゃい。気をつけるのよ」
いつも、柴崎はこうやって送り出してくれる。
俺の背中を。
あのときも。茨城の県展護衛の際も。震災復興支援で、東北に駆り出されたときも。
いつだって、凛とした声で背中を押してくれる。
郷愁に近いものが、手塚の胸を掠める。
彼は短く答えた。
「行ってくる。部屋にいろよ」
「ん」
柴崎が頷くのを見届けて、手塚は数歩先で待つ寮長に駆け寄る。二人のやりとりを見ていた彼は、手塚に向かって小声で訊いた。
「なあ、ちゃんと聞いたことなかったけど、お前たちって、つきあってるのか」
みんな言ってるけど。とごにょごにょと語尾を濁す。
手塚は「いいえ」と否定した。
「ふうん、でも今のって、まんま恋人同士の会話だがな」
疑念を滲ませて寮長は言った。
手塚は、
「そうだったらいいんですけどね」
と闇に向かってそっと本音を滲ませた。
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出だしに緊張してしまいました…。
続き楽しみにしてます。
ムリはしないでくださいね。
書くことで気持ちがすっきりするなら、どんとこい!です。
ふと思い立ったが吉日。
どう転ぶかまだわからないのでラストまでお付き合いくださればありがたいです。