「はい、これ」
柴崎が差し出した手のひらには、黒のボタンがひとつ。
夕食後、寮の共有スペースで呼び止められた手塚は、
「なんだ?それ」
自分のものよりも一回り以上も小さく、ほっそりした手を見下ろした。
白魚のような手、とはこんな手のことを言うのだろうなと思いながら。
「だから、昼間の。……あんたのスーツの」
柴崎はじれたように言った。
そこでようやく合点がいく。
「あああれか。わざわざいいのに。ボタンぐらい」
手塚としては呼び止めてまで、というつもりだったが、柴崎は柳眉を寄せたままだった。
「よくないでしょう。ボタンいっこ取れたまんまのスーツなんて、カッコ悪いじゃない」
柴崎はなぜか怒ったように言う。そして、
「だから貸しなさいよ」
「何を?」
「決まってるでしょ、スーツをよ」
「なんで?」
「なんで、って。あっきれた、付けてあげるからでしょ。取れたボタンを、縫うのよ。これからあたしが!」
それは今日の昼の話。
図書館で日勤の柴崎と、シフトで内勤に入った手塚が珍しくカウンター業務でブッキング。
どちらも互いの仕事ぶりをそれとなく観察しながら、淡々と仕事をこなしている最中。カウンターに置いてあったペンだったかクリップだったかが、何かの弾みで落ちた。
自然と同時に屈んで拾おうとして、そして起き上がった際に、
「いたっ」
「あ」
柴崎が頭を押さえてよろけた。手塚がその腕を咄嗟に支える。
そして、柴崎の髪がひとふさ、手塚のスーツのボタンに絡みついていることに気づく。
「やだ、もう」
柴崎が髪を引いて外そうとするが、なかなか取れない。手塚は
「ばか、焦るな」
絡みついている黒髪を解こうと手をかけるも、彼の大きな手では繊細な黒絹のような糸は取り外せず。却って弄るほどにこんがらかる始末。
そうしている間にも利用客はやってくる。カウンターから怪訝そうに覗き込む客と目が合い、柴崎は腹を決めた。
「しようがないわ。もう切っちゃって。鋏、そこにあるでしょ」
目でペン立てを示す。手塚は渋い顔を作った。
「切るって、簡単に言うなよ、お前」
「だって取れないんだもん、しようがないじゃない」
ふくれる。誰が切りたいものか。髪は女の命と呼ばれる部位だ。柴崎の癖のないストレートは同性もあこがれる美しさだ。
自慢の髪。でも、背に腹は代えられない。
「いいからやって」そう言おうとしたとき、
手塚が予想外の動きを見せた。
ぶち、とそのボタンを引きちぎった。力任せに。
音がしてそれは弾け飛んだ。勢いよくデスクの下に転がった。
しかし、ボタンを縫製している糸が切れただけで、柴崎の毛先を損うことはまったくなかった。
手塚は呆気に取られる柴崎に「これでいいだろ、仕事に戻るぞ」と言った。
「でも、あんたの」
ボタンが、と言いかけたのを「いいんだ」と遮って、
「気にするな」と手塚は何事もなかったかのように業務に戻ったのだった。
「……お前、縫い物とかできるのか」
わざわざボタンを探して拾ってきてくれたのか。それで、縫うために俺を呼び止めて?
そう言いたいのに、口からは益体もないことしかでてこない。案の定柴崎の鉄拳が飛ぶ。
拳骨で手塚の腕にパンチを入れて、
「あたしを誰だと思ってんのよ! 笠原と違うのよ。できるに決まってるでしょ」
郁が聞いたら気を悪くするだろうことを口にして、柴崎は手塚を睨み上げた。
「いいから出しなさい。スーツの上。さくさく縫ってあげるから」
いてててて、とパンチを決められたところを押さえながら手塚は
「分かった。今部屋に行って取ってくる」
「早くしなさいよ」
柴崎はようやく笑顔を見せた。
手塚は行きかけた足を止めて、振り返り彼女の元に戻った。
「なによ?」
わずかに首をかしげて見上げる柴崎。
「いや。サンキューな。これやるよ」
ポケットから取り出したものを柴崎の手に載せる。反射で受け取った柴崎は、手渡されたものを見て目を見張った。
「……キャンディ?」
しかもミルキー? 不二家の?
手塚はもう背中を向けて行ってしまっている。なんで大の男がペコちゃんの紙包みのキャンディとか持ってるの?
「昼間お前の相棒からもらった。もらって、忘れてた」
やるよ。お礼な、背中で言って部屋に向かう。
郁からか。よかった。他の女じゃないんだ。
そう思って、柴崎は、「やだ、なんで【よかった】なのよ」と自分で突っ込みを入れる。
なんだかしてやられた気がして、柴崎は人目を気にするように左右を見た。そして、キャンディの包みを開いて中身を口に放り込む。
甘い。
「……ふふ」
柴崎は手のひらの中の黒いボタンを弄んだ。あの堅物の手塚から甘いものをもらうなんてね。そう思うと頬が勝手に緩む。
早く戻ってきて欲しいような、今しばらく口の中に広がる甘みに酔っていたいような。不思議な心地だった。
(fin)
恋人以前の二人。
ボタンを躊躇なく引きちぎる野獣な手塚も、
キャンディを好きな女に手渡す紳士の手塚もどっちも魅力的だと思います。
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柴崎が差し出した手のひらには、黒のボタンがひとつ。
夕食後、寮の共有スペースで呼び止められた手塚は、
「なんだ?それ」
自分のものよりも一回り以上も小さく、ほっそりした手を見下ろした。
白魚のような手、とはこんな手のことを言うのだろうなと思いながら。
「だから、昼間の。……あんたのスーツの」
柴崎はじれたように言った。
そこでようやく合点がいく。
「あああれか。わざわざいいのに。ボタンぐらい」
手塚としては呼び止めてまで、というつもりだったが、柴崎は柳眉を寄せたままだった。
「よくないでしょう。ボタンいっこ取れたまんまのスーツなんて、カッコ悪いじゃない」
柴崎はなぜか怒ったように言う。そして、
「だから貸しなさいよ」
「何を?」
「決まってるでしょ、スーツをよ」
「なんで?」
「なんで、って。あっきれた、付けてあげるからでしょ。取れたボタンを、縫うのよ。これからあたしが!」
それは今日の昼の話。
図書館で日勤の柴崎と、シフトで内勤に入った手塚が珍しくカウンター業務でブッキング。
どちらも互いの仕事ぶりをそれとなく観察しながら、淡々と仕事をこなしている最中。カウンターに置いてあったペンだったかクリップだったかが、何かの弾みで落ちた。
自然と同時に屈んで拾おうとして、そして起き上がった際に、
「いたっ」
「あ」
柴崎が頭を押さえてよろけた。手塚がその腕を咄嗟に支える。
そして、柴崎の髪がひとふさ、手塚のスーツのボタンに絡みついていることに気づく。
「やだ、もう」
柴崎が髪を引いて外そうとするが、なかなか取れない。手塚は
「ばか、焦るな」
絡みついている黒髪を解こうと手をかけるも、彼の大きな手では繊細な黒絹のような糸は取り外せず。却って弄るほどにこんがらかる始末。
そうしている間にも利用客はやってくる。カウンターから怪訝そうに覗き込む客と目が合い、柴崎は腹を決めた。
「しようがないわ。もう切っちゃって。鋏、そこにあるでしょ」
目でペン立てを示す。手塚は渋い顔を作った。
「切るって、簡単に言うなよ、お前」
「だって取れないんだもん、しようがないじゃない」
ふくれる。誰が切りたいものか。髪は女の命と呼ばれる部位だ。柴崎の癖のないストレートは同性もあこがれる美しさだ。
自慢の髪。でも、背に腹は代えられない。
「いいからやって」そう言おうとしたとき、
手塚が予想外の動きを見せた。
ぶち、とそのボタンを引きちぎった。力任せに。
音がしてそれは弾け飛んだ。勢いよくデスクの下に転がった。
しかし、ボタンを縫製している糸が切れただけで、柴崎の毛先を損うことはまったくなかった。
手塚は呆気に取られる柴崎に「これでいいだろ、仕事に戻るぞ」と言った。
「でも、あんたの」
ボタンが、と言いかけたのを「いいんだ」と遮って、
「気にするな」と手塚は何事もなかったかのように業務に戻ったのだった。
「……お前、縫い物とかできるのか」
わざわざボタンを探して拾ってきてくれたのか。それで、縫うために俺を呼び止めて?
そう言いたいのに、口からは益体もないことしかでてこない。案の定柴崎の鉄拳が飛ぶ。
拳骨で手塚の腕にパンチを入れて、
「あたしを誰だと思ってんのよ! 笠原と違うのよ。できるに決まってるでしょ」
郁が聞いたら気を悪くするだろうことを口にして、柴崎は手塚を睨み上げた。
「いいから出しなさい。スーツの上。さくさく縫ってあげるから」
いてててて、とパンチを決められたところを押さえながら手塚は
「分かった。今部屋に行って取ってくる」
「早くしなさいよ」
柴崎はようやく笑顔を見せた。
手塚は行きかけた足を止めて、振り返り彼女の元に戻った。
「なによ?」
わずかに首をかしげて見上げる柴崎。
「いや。サンキューな。これやるよ」
ポケットから取り出したものを柴崎の手に載せる。反射で受け取った柴崎は、手渡されたものを見て目を見張った。
「……キャンディ?」
しかもミルキー? 不二家の?
手塚はもう背中を向けて行ってしまっている。なんで大の男がペコちゃんの紙包みのキャンディとか持ってるの?
「昼間お前の相棒からもらった。もらって、忘れてた」
やるよ。お礼な、背中で言って部屋に向かう。
郁からか。よかった。他の女じゃないんだ。
そう思って、柴崎は、「やだ、なんで【よかった】なのよ」と自分で突っ込みを入れる。
なんだかしてやられた気がして、柴崎は人目を気にするように左右を見た。そして、キャンディの包みを開いて中身を口に放り込む。
甘い。
「……ふふ」
柴崎は手のひらの中の黒いボタンを弄んだ。あの堅物の手塚から甘いものをもらうなんてね。そう思うと頬が勝手に緩む。
早く戻ってきて欲しいような、今しばらく口の中に広がる甘みに酔っていたいような。不思議な心地だった。
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MYパソ、クラッシュ大変でしたね。。。
活動停止かとさびしく思っておりましたが、復活の兆し、嬉しく思っておりました。こちらこそお久しぶりです。&ご無沙汰しております。
クリスマス前になにか今年も連載をと思っているのですがなかなかまとまらず。。。。形になればいいのですが。 一足先に言葉だけでもメリークリスマス、ということで(笑)
そして、甘い手柴、一足先にクリスマスプレゼントもらっちゃいました。
ありがとうございました!