宮殿の正面のエントランスには、緋色の絨毯が敷かれた広々としたロビーがある。中央には重厚な造りの階段があって、途中の踊り場で左右に分かれ、二階へと続いていた。
その右手の上階の手すりから身を乗り出すように、アルフィンがこちらを見下ろしていた。
シンプルなオフホワイトのワンピースを身に着けている。
「アルフィン」
「ジョウ」
アルフィンが駆け下りてくる。まっすぐにジョウの元へ。
そして、その胸に躊躇なく飛び込んだ。
「ジョウ、――お帰りなさい」
おっと、と一瞬ジョウの頭をためらいがよぎった。
宮殿の職員もグラハムも、みんな見ている。公衆の面前でこの抱擁はまずいのでは。
でもまあいいかとジョウはすぐに切り替えた。「ただいま」と、アルフィンの背に腕を回す。
抱きしめた。力いっぱい。
おお、とギャラリーから声があがる。きゃあと女性の歓声も。
アルフィンは周りなど眼中に入らない様子で、ジョウの胸に顔をきつく押し当てた。彼の背を掻きいだき、
「……会いたかった。ずっと待って、待って。待ちすぎたせいで、首がきりんみたいに伸びちゃうかと思ったわ」
吐息とともに可愛らしい恨み言が腕の中から聞こえる。
ジョウはかすかに笑った。アルフィンの髪をそうっと撫でた。
「待たせてごめん。君がきりんになると困るな」
「アイスだったらぐずぐずに溶けちゃってるところよ」
「まあ、溶けたアイスも美味いもんだぜ」
俺が掬いとってやろうか、と耳元で彼女にしか聞こえない声量で囁く。アルフィンは赤くなった。
えっち。
つい、と身を離して上目で睨む。ジョウはまんざらでもない顔だ。
一部始終を側で見守っていたグラハムが、おやおやと言いたげな顔で、
「これはこれは、……仲のおよろしいことで」
と二人を交互に見ながら言った。慎重に言葉を選んで。
ハルマン三世より、ジョウが6年ぶりに隠密で来訪するとは聞いていた。そして数日間宮殿に滞在するので、身の回りの世話を頼むと言いつかった。けれど、ジョウが来訪する目的が何なのまでかは聞かされていなかった。
でも、二人の様子を見たグラハムだけでなく職員たちは、すぐにそれを察した。
6年前から国民のあいだで根強かった、ジョウとアルフィン姫との縁組みを期待する声。
もしかしたら、いよいよそれが現実のこととなるのかも知れない。この仲睦まじい様子を目の当たりにして、明るい空気がロビーに満ちる。
アルフィンがそこで初めて自分達を取り巻く職員に気づいたとでもいうようにはっと我に返った。
ジョウから離れてグラハムに向き直った。今更のように、王女然としてきびきびと指示を出す。
「グラハム、私がジョウをお部屋にご案内するわ。あなたはお父さまとお母さまに、到着を伝えてくれる? もう少ししたら執務室のほうへお連れするって」
「かしこまりました」
「客室はこちらよ、ジョウ。荷物は運ばせましょうか?」
「いや、これだけだから自分で運ぶ」
「そう。じゃあ、グラハム15分後にお父さまの執務室でね」
「はい」
アルフィンが先に立ってジョウを二階に案内する。肩を並べて階段を上っていく、二人の姿を職員たちはほほえましく見送った。
客室に通すなり、アルフィンがまた抱きついてきた。ドアが閉まりもしないうちに。
ジョウが困ったように笑う。
「こらこら。いいのか」
さっきみたいに、人前で大胆に抱きつくのはまずいんじゃないかとさすがに釘を刺した。
嬉しくないわけではないが、到着早々こんな風だと自分たちの関係に眉をひそめる人もいるのではないかと危惧された。アルフィンはオープンすぎる。
「今は他の誰もいないもの。いいじゃない」
アルフィンはけろりとしている。ジョウにひっついたまま言った。
「うちのスタッフたちは口が固いの。あたしが赤ちゃんの頃から面倒見てくれてた人たちが多いし、親子何代にもわたって宮殿でお仕事をしている人も多い。住み込みで、もう家族も同然なのよ。グラハムだってそうよ」
「そうか。でもせめて人目があるところでは気をつけろよ」
お互いに、と心の中で付け足す。
「はあい。でも覚えていて? ピザンの英雄には、国民はみんな好意的よ?」
「だから、その言い方やめろって」
軽口をたたき合うのが嬉しい。6年という離れた時間を忘れさせてくれる。
こうやっていると、再会するまで音沙汰もなく、やりとりも全くしていなかったとは思えないほどだ。
すっと自然に、自分たちが出会って、反乱を鎮圧するために力を合わせた日々、あの頃が戻ってきたようだった。
しばらく抱擁を交わした後、ジョウが身を離した。
「顔を見せてくれ」
アルフィンのおとがいを手で仰向かせて、顔を覗き込む。
アルフィンは恥ずかしそうに笑った。
「ジョウは再会してからよくそう言うわね。顔が見たいって」
「きれいだからさ。俺が知ってる中で君がいちばん綺麗だ」
お世辞とは思えない真面目な口調に、アルフィンが照れる。
「お上手ね」
「ほんとのことさ」
ふっと目の前が翳ったかと思うと、ジョウにキスを奪われていた。
「……」
「……」
長い口づけだった。初めてのキスは、優しく、かつ情熱的に。
アルフィンは、ジョウのあたたかい唇がしっとりと自分のものを押し包むのに任せた。
タンジール宇宙港でもキスはしなかった。手を取って、寄り添うだけの再会だった。
出会ってから、ここまで6年もかかった。あまりにもゆっくり過ぎる自分たちの歩みに、さすがにジョウも自分の奥手さにあきれるほどだ。
まあ、いいか……。今こうして君を抱いて口づけを刻めているのなら。
ジョウが身を離すと、アルフィンはほんのりと頬を染めて俯いた。
「……」
「……初めてなの」
「うん」
純粋にそのことが嬉しかった。ジョウは微笑った。
「もう一回、してって言ったらしてくれる?」
「もちろん」
そして、ジョウは実際そうした。
「……」
夢を見ているよう。彼に唇を奪われながら、アルフィンは思う。
宇宙港でジョウと再会してからこっち、どこか地に足がついていないというか、ふわふわと現実感がなかった。
でもこうやって彼の腕に抱かれ、キスを落とし込まれると、夢じゃないんだと知る。
実際のことなのだと。プロポーズも何もかも。それをジョウが教えてくれる。
ようやくジョウはアルフィンを離した。
「今日は、クラッシュジャケットじゃないのね」
彼のスーツの襟に指を掛けながら、アルフィンが言った。ジョウがネクタイを締めているところを初めて見た。6年前の記念式典のときも、彼はいつもクラッシャーの制服姿だった。新鮮。
「ああ、――今回はオフだから」
オフというより、結婚の許諾を貰いにきたから。国王と王妃に、正式に。
身なりにも気を使うぜ。一世一代の大勝負だ。
ジョウの心中を知ってか知らずか、アルフィンが無邪気に言った。
「あなたのスーツ姿、初めて見るけど、似合うわ。とてもカッコいい」
「そりゃあどうも」
君は呑気だな。と口を突いて出そうになる。
ジョウの緊張はもちろんアルフィンもわかっている。さっき宮殿のロビーでも、職員たちに見せていたのはよそいきの顔だ。6年前もそうだけれど、ピザンではジョウを下にも置かない扱いをするので、どうも居心地がよくなさそうなのだ。
それでも単身、駆け付けてくれた。仕事を終えた、その宇宙港から。
2週間後、必ず行くという約束を守ってくれた。それが嬉しかった。
「お父様も、お母様も、あなたが今回何をしにピザンに来てくれたか。存じていらっしゃるわ。あの後――電話でプロポーズされた後、話したの」
「……そうか」
アルフィンが先に話してくれているのなら、少しは気が楽になるというものだ。
でも、すんなりと許されるとは思っていない。仮にも一国の王女を妻に娶ろうとしているのだ。はいそうですかと了承が出るとは思えない。
「もしも反対されたら、どうする?」
アルフィンがそこでジョウを見上げた。ほんの少し、陰りを帯びた瞳で。
「反対、されそうか」
「……わからない」
諸手を上げて、賛成って雰囲気ではないのだなとアルフィンの顔つきから察する。
「そうだな。説得してもだめだったら、誘拐でもするか」
「えっ」
「うそだよ。心配するな」
実力行使が売りのクラッシャーだが、こと結婚に関しては、こちらから差し出せるのは誠意しかないと思っている。
アルフィンがほしいと。俺の許に来ることを許してほしいと、何度でも頭を下げよう。
アルフィンを産み、これまで慈しみ育ててきた二人が許してくれるまで。というか、それしかできない。
ジョウの腹は決まっていた。
「もう行かないと。約束の時間じゃないか」
時計を見てジョウがアルフィンを促す。
「ええ、そうね」
「その前に」
もう一回。
ドアに行きかけたアルフィンの腕を把って、自分の方へ引き寄せた。
懐に閉じ込めて、またキスを奪う。
今度はアルフィンからも求めた。彼の背中に手を添わせ、肩にしがみついた。
長い長い口づけになった。
「ジョウ、よく来てくれた」
国王の執務室に案内されて、中に入るなり、ハルマン三世のよくとおるテノールが出迎えた。
デスクから立ち上がり、両手を広げて彼の許へ歩み寄る。
大股で距離を詰め、ジョウの手をがっちりと握った。
「お久しぶりです。ご無沙汰しておりました」
ジョウがその手を握り返す。痛いくらいの力だった。ハルマン三世は満面の笑みで彼の手に左手を添えて、
「ああ。本当に久しぶり。――懐かしいな」
とがっちりさらに力を込めて握る。嬉しそうに目を細めた。
6年前の記憶が去来している。胸の内に。それがわかる、何とも言えない穏やかな表情を見せた。
仕立てのよいスーツ。きれいに整えられた髪。柔和だが、意志の強さが感じられるヘイゼルの瞳。
ジョウは国王を前に、正装してきてよかったと心から思った。対峙していると、位負けしてしまいそうだ。
「いきなりの訪問ですみません。ご厄介になります」
「厄介なもんか。君が来てくれるなら、いつだって大歓迎だよ。私も妻も。――もちろんアルフィンもね」
声を上げて笑う。握手を交わした手を離そうとせずに。
ジョウはハルマン三世の友好ムードにほっとした。しかつめらしい顔で迎えられたらどうしようかと思っていた。
アルフィンは、二人の様子を傍らで見つめていたが、
「お父様はジョウが大好きなのよ。また色んな話を聞かせて、色んなところに引っ張りまわそうとなさるおつもりでしょう? 6年前にしたみたいに」
少し拗ねたように言う。
「ばれたか。だって私には息子はいないから。アルフィンとは出来ないことを、いろいろしてみたいじゃないか。なあ」
「ジョウ、迷惑なら迷惑って言っていいのよ。猟銃で狩りとか、あなた退屈だったんじゃない?」
「いや、そんなことは」
確かに狩りにも引っ張り出された。以前の記憶が蘇る。
どう転んでも、自分のほうの腕が上で、国王にどうやって花を持たせればいいか苦労したんだった。獲物を前に、当たらないように銃を撃つスキルをジョウは知らない。
「お前は猟は嫌いだろう。殺生はいやだというから」
「ジョウはそんなに時間がないの。忙しい人なんだから。独り占めされては困ります」
「そうか……。それは残念だな」
肩を落としてしょんぼりする国王。そこへドアが開き、エリアナ王妃が入室してきた。うしろにはグラハムも控えている。
「ジョウ、いらっしゃい。よく来てくださいましたね」
にこやかな笑顔が美しい。光沢のあるブラウスに、タイトスカートを召している。金髪を緩く結い上げ、胸元には繊細な造りのロザリオ。アレクサンドライトが真ん中に施された。
「王妃さま。お久しぶりです」
ひとしきり再会のあいさつを交わす。香水だろうか、王妃からは花のような良い香りがした。
アルフィンは王妃似だ。エリアナを見るたびにジョウは思う。金髪碧眼の貴婦人。おそらく、アルフィンがあと20年、年を取ったらこうなるだろうという、未来の姿。
おっとりとした上品な声で、王妃が言った。
「隣にお茶の用意が整いましたの、あなた、少しお仕事外しても大丈夫?」
「もちろん」
「じゃあみなさんでこちらへどうぞ」
そういうわけで、執務室から次の間の応接室に移動することになった。
6へ
その右手の上階の手すりから身を乗り出すように、アルフィンがこちらを見下ろしていた。
シンプルなオフホワイトのワンピースを身に着けている。
「アルフィン」
「ジョウ」
アルフィンが駆け下りてくる。まっすぐにジョウの元へ。
そして、その胸に躊躇なく飛び込んだ。
「ジョウ、――お帰りなさい」
おっと、と一瞬ジョウの頭をためらいがよぎった。
宮殿の職員もグラハムも、みんな見ている。公衆の面前でこの抱擁はまずいのでは。
でもまあいいかとジョウはすぐに切り替えた。「ただいま」と、アルフィンの背に腕を回す。
抱きしめた。力いっぱい。
おお、とギャラリーから声があがる。きゃあと女性の歓声も。
アルフィンは周りなど眼中に入らない様子で、ジョウの胸に顔をきつく押し当てた。彼の背を掻きいだき、
「……会いたかった。ずっと待って、待って。待ちすぎたせいで、首がきりんみたいに伸びちゃうかと思ったわ」
吐息とともに可愛らしい恨み言が腕の中から聞こえる。
ジョウはかすかに笑った。アルフィンの髪をそうっと撫でた。
「待たせてごめん。君がきりんになると困るな」
「アイスだったらぐずぐずに溶けちゃってるところよ」
「まあ、溶けたアイスも美味いもんだぜ」
俺が掬いとってやろうか、と耳元で彼女にしか聞こえない声量で囁く。アルフィンは赤くなった。
えっち。
つい、と身を離して上目で睨む。ジョウはまんざらでもない顔だ。
一部始終を側で見守っていたグラハムが、おやおやと言いたげな顔で、
「これはこれは、……仲のおよろしいことで」
と二人を交互に見ながら言った。慎重に言葉を選んで。
ハルマン三世より、ジョウが6年ぶりに隠密で来訪するとは聞いていた。そして数日間宮殿に滞在するので、身の回りの世話を頼むと言いつかった。けれど、ジョウが来訪する目的が何なのまでかは聞かされていなかった。
でも、二人の様子を見たグラハムだけでなく職員たちは、すぐにそれを察した。
6年前から国民のあいだで根強かった、ジョウとアルフィン姫との縁組みを期待する声。
もしかしたら、いよいよそれが現実のこととなるのかも知れない。この仲睦まじい様子を目の当たりにして、明るい空気がロビーに満ちる。
アルフィンがそこで初めて自分達を取り巻く職員に気づいたとでもいうようにはっと我に返った。
ジョウから離れてグラハムに向き直った。今更のように、王女然としてきびきびと指示を出す。
「グラハム、私がジョウをお部屋にご案内するわ。あなたはお父さまとお母さまに、到着を伝えてくれる? もう少ししたら執務室のほうへお連れするって」
「かしこまりました」
「客室はこちらよ、ジョウ。荷物は運ばせましょうか?」
「いや、これだけだから自分で運ぶ」
「そう。じゃあ、グラハム15分後にお父さまの執務室でね」
「はい」
アルフィンが先に立ってジョウを二階に案内する。肩を並べて階段を上っていく、二人の姿を職員たちはほほえましく見送った。
客室に通すなり、アルフィンがまた抱きついてきた。ドアが閉まりもしないうちに。
ジョウが困ったように笑う。
「こらこら。いいのか」
さっきみたいに、人前で大胆に抱きつくのはまずいんじゃないかとさすがに釘を刺した。
嬉しくないわけではないが、到着早々こんな風だと自分たちの関係に眉をひそめる人もいるのではないかと危惧された。アルフィンはオープンすぎる。
「今は他の誰もいないもの。いいじゃない」
アルフィンはけろりとしている。ジョウにひっついたまま言った。
「うちのスタッフたちは口が固いの。あたしが赤ちゃんの頃から面倒見てくれてた人たちが多いし、親子何代にもわたって宮殿でお仕事をしている人も多い。住み込みで、もう家族も同然なのよ。グラハムだってそうよ」
「そうか。でもせめて人目があるところでは気をつけろよ」
お互いに、と心の中で付け足す。
「はあい。でも覚えていて? ピザンの英雄には、国民はみんな好意的よ?」
「だから、その言い方やめろって」
軽口をたたき合うのが嬉しい。6年という離れた時間を忘れさせてくれる。
こうやっていると、再会するまで音沙汰もなく、やりとりも全くしていなかったとは思えないほどだ。
すっと自然に、自分たちが出会って、反乱を鎮圧するために力を合わせた日々、あの頃が戻ってきたようだった。
しばらく抱擁を交わした後、ジョウが身を離した。
「顔を見せてくれ」
アルフィンのおとがいを手で仰向かせて、顔を覗き込む。
アルフィンは恥ずかしそうに笑った。
「ジョウは再会してからよくそう言うわね。顔が見たいって」
「きれいだからさ。俺が知ってる中で君がいちばん綺麗だ」
お世辞とは思えない真面目な口調に、アルフィンが照れる。
「お上手ね」
「ほんとのことさ」
ふっと目の前が翳ったかと思うと、ジョウにキスを奪われていた。
「……」
「……」
長い口づけだった。初めてのキスは、優しく、かつ情熱的に。
アルフィンは、ジョウのあたたかい唇がしっとりと自分のものを押し包むのに任せた。
タンジール宇宙港でもキスはしなかった。手を取って、寄り添うだけの再会だった。
出会ってから、ここまで6年もかかった。あまりにもゆっくり過ぎる自分たちの歩みに、さすがにジョウも自分の奥手さにあきれるほどだ。
まあ、いいか……。今こうして君を抱いて口づけを刻めているのなら。
ジョウが身を離すと、アルフィンはほんのりと頬を染めて俯いた。
「……」
「……初めてなの」
「うん」
純粋にそのことが嬉しかった。ジョウは微笑った。
「もう一回、してって言ったらしてくれる?」
「もちろん」
そして、ジョウは実際そうした。
「……」
夢を見ているよう。彼に唇を奪われながら、アルフィンは思う。
宇宙港でジョウと再会してからこっち、どこか地に足がついていないというか、ふわふわと現実感がなかった。
でもこうやって彼の腕に抱かれ、キスを落とし込まれると、夢じゃないんだと知る。
実際のことなのだと。プロポーズも何もかも。それをジョウが教えてくれる。
ようやくジョウはアルフィンを離した。
「今日は、クラッシュジャケットじゃないのね」
彼のスーツの襟に指を掛けながら、アルフィンが言った。ジョウがネクタイを締めているところを初めて見た。6年前の記念式典のときも、彼はいつもクラッシャーの制服姿だった。新鮮。
「ああ、――今回はオフだから」
オフというより、結婚の許諾を貰いにきたから。国王と王妃に、正式に。
身なりにも気を使うぜ。一世一代の大勝負だ。
ジョウの心中を知ってか知らずか、アルフィンが無邪気に言った。
「あなたのスーツ姿、初めて見るけど、似合うわ。とてもカッコいい」
「そりゃあどうも」
君は呑気だな。と口を突いて出そうになる。
ジョウの緊張はもちろんアルフィンもわかっている。さっき宮殿のロビーでも、職員たちに見せていたのはよそいきの顔だ。6年前もそうだけれど、ピザンではジョウを下にも置かない扱いをするので、どうも居心地がよくなさそうなのだ。
それでも単身、駆け付けてくれた。仕事を終えた、その宇宙港から。
2週間後、必ず行くという約束を守ってくれた。それが嬉しかった。
「お父様も、お母様も、あなたが今回何をしにピザンに来てくれたか。存じていらっしゃるわ。あの後――電話でプロポーズされた後、話したの」
「……そうか」
アルフィンが先に話してくれているのなら、少しは気が楽になるというものだ。
でも、すんなりと許されるとは思っていない。仮にも一国の王女を妻に娶ろうとしているのだ。はいそうですかと了承が出るとは思えない。
「もしも反対されたら、どうする?」
アルフィンがそこでジョウを見上げた。ほんの少し、陰りを帯びた瞳で。
「反対、されそうか」
「……わからない」
諸手を上げて、賛成って雰囲気ではないのだなとアルフィンの顔つきから察する。
「そうだな。説得してもだめだったら、誘拐でもするか」
「えっ」
「うそだよ。心配するな」
実力行使が売りのクラッシャーだが、こと結婚に関しては、こちらから差し出せるのは誠意しかないと思っている。
アルフィンがほしいと。俺の許に来ることを許してほしいと、何度でも頭を下げよう。
アルフィンを産み、これまで慈しみ育ててきた二人が許してくれるまで。というか、それしかできない。
ジョウの腹は決まっていた。
「もう行かないと。約束の時間じゃないか」
時計を見てジョウがアルフィンを促す。
「ええ、そうね」
「その前に」
もう一回。
ドアに行きかけたアルフィンの腕を把って、自分の方へ引き寄せた。
懐に閉じ込めて、またキスを奪う。
今度はアルフィンからも求めた。彼の背中に手を添わせ、肩にしがみついた。
長い長い口づけになった。
「ジョウ、よく来てくれた」
国王の執務室に案内されて、中に入るなり、ハルマン三世のよくとおるテノールが出迎えた。
デスクから立ち上がり、両手を広げて彼の許へ歩み寄る。
大股で距離を詰め、ジョウの手をがっちりと握った。
「お久しぶりです。ご無沙汰しておりました」
ジョウがその手を握り返す。痛いくらいの力だった。ハルマン三世は満面の笑みで彼の手に左手を添えて、
「ああ。本当に久しぶり。――懐かしいな」
とがっちりさらに力を込めて握る。嬉しそうに目を細めた。
6年前の記憶が去来している。胸の内に。それがわかる、何とも言えない穏やかな表情を見せた。
仕立てのよいスーツ。きれいに整えられた髪。柔和だが、意志の強さが感じられるヘイゼルの瞳。
ジョウは国王を前に、正装してきてよかったと心から思った。対峙していると、位負けしてしまいそうだ。
「いきなりの訪問ですみません。ご厄介になります」
「厄介なもんか。君が来てくれるなら、いつだって大歓迎だよ。私も妻も。――もちろんアルフィンもね」
声を上げて笑う。握手を交わした手を離そうとせずに。
ジョウはハルマン三世の友好ムードにほっとした。しかつめらしい顔で迎えられたらどうしようかと思っていた。
アルフィンは、二人の様子を傍らで見つめていたが、
「お父様はジョウが大好きなのよ。また色んな話を聞かせて、色んなところに引っ張りまわそうとなさるおつもりでしょう? 6年前にしたみたいに」
少し拗ねたように言う。
「ばれたか。だって私には息子はいないから。アルフィンとは出来ないことを、いろいろしてみたいじゃないか。なあ」
「ジョウ、迷惑なら迷惑って言っていいのよ。猟銃で狩りとか、あなた退屈だったんじゃない?」
「いや、そんなことは」
確かに狩りにも引っ張り出された。以前の記憶が蘇る。
どう転んでも、自分のほうの腕が上で、国王にどうやって花を持たせればいいか苦労したんだった。獲物を前に、当たらないように銃を撃つスキルをジョウは知らない。
「お前は猟は嫌いだろう。殺生はいやだというから」
「ジョウはそんなに時間がないの。忙しい人なんだから。独り占めされては困ります」
「そうか……。それは残念だな」
肩を落としてしょんぼりする国王。そこへドアが開き、エリアナ王妃が入室してきた。うしろにはグラハムも控えている。
「ジョウ、いらっしゃい。よく来てくださいましたね」
にこやかな笑顔が美しい。光沢のあるブラウスに、タイトスカートを召している。金髪を緩く結い上げ、胸元には繊細な造りのロザリオ。アレクサンドライトが真ん中に施された。
「王妃さま。お久しぶりです」
ひとしきり再会のあいさつを交わす。香水だろうか、王妃からは花のような良い香りがした。
アルフィンは王妃似だ。エリアナを見るたびにジョウは思う。金髪碧眼の貴婦人。おそらく、アルフィンがあと20年、年を取ったらこうなるだろうという、未来の姿。
おっとりとした上品な声で、王妃が言った。
「隣にお茶の用意が整いましたの、あなた、少しお仕事外しても大丈夫?」
「もちろん」
「じゃあみなさんでこちらへどうぞ」
そういうわけで、執務室から次の間の応接室に移動することになった。
6へ
父親としては、諸手を挙げて、賛成のわけないよね。
危険な商売だし、
結婚後の生活のこと(なかなか帰ってこない夫。ワンオペの育児。子供に対する周囲からのプレッシャー)も。
当然、ジョウのアラミスでの立場も調べただろうし。
条件をつけられたりして、次回楽しみです。