【1】
懐中電灯を片手に、こちらに近づいてくる手塚の姿を認めたとき、ほっとした。
寝入りばな、ぐらっときて目が覚めた。それから長い横揺れが続いた。ベッドから出たほうがいいのか、それともそのままでいたほうがいいのか、わからなかった。足がすくんでしまって布団に包まってじっとしているしかなかった。
揺れが収まった頃、明かりをつけて外の様子を見ようとして、電気が止まっているのに気づいた。
まっさきに、手塚に電話をかけた。履歴を呼び出し。通話ボタンをオンに。
でも、つながらない。不通。
ツー、という素っ気無い電子音を聞きながら、柴崎は我に返る。
ちょっと、――やだ。
あたし、なんであいつに電話を。
一番先にって、なんで。家族より、笠原よりも。
地震とまったく関係のないところで動揺して、ベッドから降り立った。取るものもとりあえず、ストールだけを手探りで取り上げて廊下に出る。
おそるおそるドアから顔を出すと、隣もその隣の部屋の住人も出てきた。
「柴崎」
「こわいよー。大丈夫?」
「あたしは平気。けがとか、してない?」
お互い、声だけで安否を確認しあう。
シルエットと声でその人だろうと当たりをつけるが、顔はまったく見えない。黒く闇に塗りつぶされている。
声をかけあって、気をつけてと言い合って階段を下りて共有スペースに向かった。あそこにいけば、きっと誰かいるはず。男性も。女ばかりだとやはり、こういう非常時は心細い。
それに、あそこに行けば、手塚がいるかも。
思いを噛み締めるように階段を一段ずつ下りた。壁伝いに。
声を聞きたかった。姿を見たかった。
見れば、安心できる。
はやる想いを、必死で押さえながら。
「柴崎」
だから人ごみの中、名前を呼んで自分に近づいてくる手塚を見たとき、なんだか泣きそうになった。
名前を呼ばれたとき、強張っていた身体から芯が抜かれたように力が抜けた。
灯台みたい。ふとそんなことを思った。
確かな明かりであたしを照らす。背の高い、灯台。
柴崎はストールですっぽりと顔を隠した。
「……」
夜でよかった。停電で。
たぶん今あたし、顔、赤い。――火照る頬を、カシミアのストールの陰にそっと隠した。
「柴崎さんて、パジャマ派なんだな」
寮長が、ぼそりと呟いたのを手塚は聞き逃さなかった。
ここは食堂。二人は今寮母を手伝って、厨房の食器棚から落ちて割れた皿や器の破片を片付けているところだった。たいした数ではないが、暗がりの中の作業だといつもの二倍、気を使わざるを得ない。
懐中電灯をテーブルの上に固定して、それを頼りに掃いて集めていく。
助かるわあ、ありがとね、と二人が駆けつけたとき、寮母は手放しに喜んでくれた。今は、閉じてしまった寮内の非常扉の確認のため、いったん外している。報告義務があるらしい。
「なに言ってるんですか。どさくさに紛れて」
「いいだろ別に。お前ら付き合ってるんじゃないんなら。すっぴんも綺麗だったなーやっぱり」
確かに付き合ってる仲ではないとはいえ、手塚は柴崎の話をこんな風に持ち出されるのは面白くない。むっつりと押し黙った。
寮長の言うとおり、さっきはパジャマ姿だった。レアなショットを見て、まったく心が騒がなかったかというとうそになる。好きな女の夜着にときめかないのは男じゃない。
可愛かったなと思い出していると、器の破片であやうく指を切りそうになる。
「わ、あぶね」
「気をつけろよ」
その後、黙々と作業を続けてあらかた片付け終えることができた。そこへ寮母が戻ってくる。
「ごめんねー。やっと一巡できたわ」
「異常なし、ですか」
「たぶんね。男子寮も女子寮も、大きな被害は無いみたい。でも明るくならないと分からないわね、正直」
声に少し疲れを覗かせて寮母は言った。
「まあとりあえずは大丈夫だから、あんたたちも部屋にもどって休んで。しばらく停電は続くみたいだし、こう真っ暗じゃ完璧に掃除なんてできないわ。朝になってからにしましょ」
本当にありがとね、と何度も礼を言われた。
おばちゃんも早くやすみなよ、気安く言って食堂を出ていく寮長を待って、手塚はそっと寮母に近寄った。
聞こうか、聞いていいものか、それまでずっと迷っていたが、寮長が外してくれたおかげでタイミングが合った。
「すみません、こんなときに。頼みがあるんですけど」
「なあに? 手塚君の頼みなら、聞かないこともないよ」
今夜は借りもあるしね、と笑って先を促す。
手塚は逡巡したが、意を決して「実は……」と切り出した。
今のところ、おおきな余震はない。
でも、細かい揺れは依然感じる。
かといってそれが実際に起こっていることなのかどうか確かめるすべは無い。相変わらず携帯は用をなさないし、停電のためテレビもパソコンもつけることができない。情報から隔絶されてしまった。
地震の後は、ずっと身体が揺れているような錯覚に捕らわれる。それは、震災で経験済みだった。船の甲板にいるような、地に足がついていないような、ふわふわした感覚。あれが継続してつきまとう。
だから余震なのかそうでないのか、はっきりと断定できない。柴崎はベッドの上膝を抱えた。
とても今夜は眠れそうにない。いつまたぐらっとくるんじゃないか。今度はもっと大きいんじゃないかと思うと、眠気なんがどこかへ消え去ってしまった。
だから、ローテーブルの上に灯したキャンドルの炎をぼんやり眺める。こうしていると落ち着いた。
そのキャンドルは、笠原と堂上の披露宴で使用したものだ。おすそ分けで悪いけど、と言って、後で笠原がくれたのだ。
ピンク色の地に、白のバラの模様があしらってある。アロマキャンドル。まさか、こんなことで活用する日がくるなんてね、と柴崎は目を細めた。
笠原は今、堂上教官と一緒だろう。そして、彼の腕に抱かれて、眠りに就いているはずだ。
大丈夫、何も怖くないと優しい囁きをもらいながら。
俺がいるからと繰り返し贈られる言葉は、なによりも笠原を安心させ、健やかな眠りへと導くだろう。
「……」
それをうらやむほど、堕ちちゃいない。でも、こんなとき、誰かの体温を感じられたら、穏やかな気持ちで過ごせるであろうことは、想像に難くない。
こんな風に時間を持て余すことはないだろう。
柴崎は炎から目を離せない。寮内は静まり返っている。みんな自分を取り残して、安寧な眠りの世界へ旅立ってしまったのだろうか。
ひどく孤独を感じた。
そんなとき。
不意にゆらり、とほのおが身じろぎした。
風が吹いたわけでもない。でも、何かの流れを察知したセンサーのように、キャンドルの明かりが一瞬あかあかと燃え盛った。
余震が来る。ととっさに身構える柴崎。でも、それは違った。
至極控えめに、夜のしじまを破るのを躊躇っているかのように、かすかな音が彼女の耳に届く。
コンコン。
ノック音。ドアの向こうから。
そして、信じられないことに、「柴崎」と呼ぶ声。
弾かれたように柴崎はベッドから降りた。え? なんで?
どうして? と思考が行動に追いつかない。
部屋のドアに駆け寄る。
「……誰?」
間違えようの無いはずの声なのに、そう誰何する。口から出た自分の声が、予想以上に夜に大きく響いてそれに驚く。
返ってきた応えは、やはり彼のものだった。
「俺。手塚だけど」
なんで? なんで手塚が?
ここ、女子寮よね。あたしの部屋よね、と混乱しつつ、ドアを開けると自分より頭ひとつ以上も大きなシルエットが。
懐中電灯は消したまま持っている。だから顔ははっきりと見えない。
でも目の前にいるのは、紛れも無く手塚本人だった。
驚いて口も利けないでいる柴崎を見て、手塚は決まり悪そうに言った。
「すまん。寝てたか」
声が闇に吸い取られる。柴崎の背後で、キャンドルがじりりと身をよじった。
「……寝てはいないけど。どうしたの、いったい」
ようやく、声を絞り出す。まさか、非常事態なのと嫌な思いが脳裏を過ぎる。
手塚は、ん、と視線をいったん左右に泳がせてから、
「ちょっと心配で。顔見たくて……。すまん。来てしまった」
と言った。
大丈夫かと言われれば、大丈夫と答えるしかない。
平気かと訊かれれば、平気よと胸を張る。
そんな関係しか、紡いでこられなかった。誰とも。
強がって虚勢を張って、弱いところを必死で見せまい見せまいと。
へいきよーと笑顔でいるうち、ほんとに自分は強いんだと錯覚しそうなほど。
でも。――でも。
「……すまん、って。あんた、なに言ってるの。ここ、女子寮よ」
忍び込んだの、とつい口調が詰問風になる。
ああ、違う。そうじゃない。
こんなじゃないの。こんなことを言いたいんじゃないの。
あせる柴崎の胸のうちを知る由もなく、手塚は弁解する。
「違う。ちゃんと寮母さんに聞いたんだ。お前の部屋番号」
言いづらそうに鼻の横を指先で軽く掻いた。
「なんで?」
「なんで、って。言ったろ。心配だって。ちゃんと眠ってるかと思って」
「ノックして、起こしておいてよく言うわ」
言ってしまって、失言、と天を仰ぐ。
なんであたしは、こういう物言いしか。
手塚は困ったように笑った。
「だよな。ごめん」
柴崎はかぶりを振る。ぶんぶんと。パジャマの襟元をぎゅっと掴んだ。
「違うの。あたしこそごめん。迷惑みたいに言って」
そうじゃないの、と食ってかかりたくなる。
違う。こんな風に言いたいんじゃないの。もっと素直に、気持ちを伝えたいのに。
想いが溢れて、うまく言葉にならない。
「迷惑じゃなかったか」
「そんなこと。――迷惑なわけ、ない」
何度も首を横に振る。
手塚。
来てくれた。目の前で、言葉を交わしてる。胸が早鐘のようにどきどきと鼓動を打ち始める。
停電の夜に。地震の後に、こんなところまで。誰に見咎められるかもしれないのに。わざわざ、懐中電灯を消して。足元も覚束なかっただろうに。
ただ、あたしを心配して?
パジャマの襟元を握る柴崎の両手に、知らず力が篭った。
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懐中電灯を片手に、こちらに近づいてくる手塚の姿を認めたとき、ほっとした。
寝入りばな、ぐらっときて目が覚めた。それから長い横揺れが続いた。ベッドから出たほうがいいのか、それともそのままでいたほうがいいのか、わからなかった。足がすくんでしまって布団に包まってじっとしているしかなかった。
揺れが収まった頃、明かりをつけて外の様子を見ようとして、電気が止まっているのに気づいた。
まっさきに、手塚に電話をかけた。履歴を呼び出し。通話ボタンをオンに。
でも、つながらない。不通。
ツー、という素っ気無い電子音を聞きながら、柴崎は我に返る。
ちょっと、――やだ。
あたし、なんであいつに電話を。
一番先にって、なんで。家族より、笠原よりも。
地震とまったく関係のないところで動揺して、ベッドから降り立った。取るものもとりあえず、ストールだけを手探りで取り上げて廊下に出る。
おそるおそるドアから顔を出すと、隣もその隣の部屋の住人も出てきた。
「柴崎」
「こわいよー。大丈夫?」
「あたしは平気。けがとか、してない?」
お互い、声だけで安否を確認しあう。
シルエットと声でその人だろうと当たりをつけるが、顔はまったく見えない。黒く闇に塗りつぶされている。
声をかけあって、気をつけてと言い合って階段を下りて共有スペースに向かった。あそこにいけば、きっと誰かいるはず。男性も。女ばかりだとやはり、こういう非常時は心細い。
それに、あそこに行けば、手塚がいるかも。
思いを噛み締めるように階段を一段ずつ下りた。壁伝いに。
声を聞きたかった。姿を見たかった。
見れば、安心できる。
はやる想いを、必死で押さえながら。
「柴崎」
だから人ごみの中、名前を呼んで自分に近づいてくる手塚を見たとき、なんだか泣きそうになった。
名前を呼ばれたとき、強張っていた身体から芯が抜かれたように力が抜けた。
灯台みたい。ふとそんなことを思った。
確かな明かりであたしを照らす。背の高い、灯台。
柴崎はストールですっぽりと顔を隠した。
「……」
夜でよかった。停電で。
たぶん今あたし、顔、赤い。――火照る頬を、カシミアのストールの陰にそっと隠した。
「柴崎さんて、パジャマ派なんだな」
寮長が、ぼそりと呟いたのを手塚は聞き逃さなかった。
ここは食堂。二人は今寮母を手伝って、厨房の食器棚から落ちて割れた皿や器の破片を片付けているところだった。たいした数ではないが、暗がりの中の作業だといつもの二倍、気を使わざるを得ない。
懐中電灯をテーブルの上に固定して、それを頼りに掃いて集めていく。
助かるわあ、ありがとね、と二人が駆けつけたとき、寮母は手放しに喜んでくれた。今は、閉じてしまった寮内の非常扉の確認のため、いったん外している。報告義務があるらしい。
「なに言ってるんですか。どさくさに紛れて」
「いいだろ別に。お前ら付き合ってるんじゃないんなら。すっぴんも綺麗だったなーやっぱり」
確かに付き合ってる仲ではないとはいえ、手塚は柴崎の話をこんな風に持ち出されるのは面白くない。むっつりと押し黙った。
寮長の言うとおり、さっきはパジャマ姿だった。レアなショットを見て、まったく心が騒がなかったかというとうそになる。好きな女の夜着にときめかないのは男じゃない。
可愛かったなと思い出していると、器の破片であやうく指を切りそうになる。
「わ、あぶね」
「気をつけろよ」
その後、黙々と作業を続けてあらかた片付け終えることができた。そこへ寮母が戻ってくる。
「ごめんねー。やっと一巡できたわ」
「異常なし、ですか」
「たぶんね。男子寮も女子寮も、大きな被害は無いみたい。でも明るくならないと分からないわね、正直」
声に少し疲れを覗かせて寮母は言った。
「まあとりあえずは大丈夫だから、あんたたちも部屋にもどって休んで。しばらく停電は続くみたいだし、こう真っ暗じゃ完璧に掃除なんてできないわ。朝になってからにしましょ」
本当にありがとね、と何度も礼を言われた。
おばちゃんも早くやすみなよ、気安く言って食堂を出ていく寮長を待って、手塚はそっと寮母に近寄った。
聞こうか、聞いていいものか、それまでずっと迷っていたが、寮長が外してくれたおかげでタイミングが合った。
「すみません、こんなときに。頼みがあるんですけど」
「なあに? 手塚君の頼みなら、聞かないこともないよ」
今夜は借りもあるしね、と笑って先を促す。
手塚は逡巡したが、意を決して「実は……」と切り出した。
今のところ、おおきな余震はない。
でも、細かい揺れは依然感じる。
かといってそれが実際に起こっていることなのかどうか確かめるすべは無い。相変わらず携帯は用をなさないし、停電のためテレビもパソコンもつけることができない。情報から隔絶されてしまった。
地震の後は、ずっと身体が揺れているような錯覚に捕らわれる。それは、震災で経験済みだった。船の甲板にいるような、地に足がついていないような、ふわふわした感覚。あれが継続してつきまとう。
だから余震なのかそうでないのか、はっきりと断定できない。柴崎はベッドの上膝を抱えた。
とても今夜は眠れそうにない。いつまたぐらっとくるんじゃないか。今度はもっと大きいんじゃないかと思うと、眠気なんがどこかへ消え去ってしまった。
だから、ローテーブルの上に灯したキャンドルの炎をぼんやり眺める。こうしていると落ち着いた。
そのキャンドルは、笠原と堂上の披露宴で使用したものだ。おすそ分けで悪いけど、と言って、後で笠原がくれたのだ。
ピンク色の地に、白のバラの模様があしらってある。アロマキャンドル。まさか、こんなことで活用する日がくるなんてね、と柴崎は目を細めた。
笠原は今、堂上教官と一緒だろう。そして、彼の腕に抱かれて、眠りに就いているはずだ。
大丈夫、何も怖くないと優しい囁きをもらいながら。
俺がいるからと繰り返し贈られる言葉は、なによりも笠原を安心させ、健やかな眠りへと導くだろう。
「……」
それをうらやむほど、堕ちちゃいない。でも、こんなとき、誰かの体温を感じられたら、穏やかな気持ちで過ごせるであろうことは、想像に難くない。
こんな風に時間を持て余すことはないだろう。
柴崎は炎から目を離せない。寮内は静まり返っている。みんな自分を取り残して、安寧な眠りの世界へ旅立ってしまったのだろうか。
ひどく孤独を感じた。
そんなとき。
不意にゆらり、とほのおが身じろぎした。
風が吹いたわけでもない。でも、何かの流れを察知したセンサーのように、キャンドルの明かりが一瞬あかあかと燃え盛った。
余震が来る。ととっさに身構える柴崎。でも、それは違った。
至極控えめに、夜のしじまを破るのを躊躇っているかのように、かすかな音が彼女の耳に届く。
コンコン。
ノック音。ドアの向こうから。
そして、信じられないことに、「柴崎」と呼ぶ声。
弾かれたように柴崎はベッドから降りた。え? なんで?
どうして? と思考が行動に追いつかない。
部屋のドアに駆け寄る。
「……誰?」
間違えようの無いはずの声なのに、そう誰何する。口から出た自分の声が、予想以上に夜に大きく響いてそれに驚く。
返ってきた応えは、やはり彼のものだった。
「俺。手塚だけど」
なんで? なんで手塚が?
ここ、女子寮よね。あたしの部屋よね、と混乱しつつ、ドアを開けると自分より頭ひとつ以上も大きなシルエットが。
懐中電灯は消したまま持っている。だから顔ははっきりと見えない。
でも目の前にいるのは、紛れも無く手塚本人だった。
驚いて口も利けないでいる柴崎を見て、手塚は決まり悪そうに言った。
「すまん。寝てたか」
声が闇に吸い取られる。柴崎の背後で、キャンドルがじりりと身をよじった。
「……寝てはいないけど。どうしたの、いったい」
ようやく、声を絞り出す。まさか、非常事態なのと嫌な思いが脳裏を過ぎる。
手塚は、ん、と視線をいったん左右に泳がせてから、
「ちょっと心配で。顔見たくて……。すまん。来てしまった」
と言った。
大丈夫かと言われれば、大丈夫と答えるしかない。
平気かと訊かれれば、平気よと胸を張る。
そんな関係しか、紡いでこられなかった。誰とも。
強がって虚勢を張って、弱いところを必死で見せまい見せまいと。
へいきよーと笑顔でいるうち、ほんとに自分は強いんだと錯覚しそうなほど。
でも。――でも。
「……すまん、って。あんた、なに言ってるの。ここ、女子寮よ」
忍び込んだの、とつい口調が詰問風になる。
ああ、違う。そうじゃない。
こんなじゃないの。こんなことを言いたいんじゃないの。
あせる柴崎の胸のうちを知る由もなく、手塚は弁解する。
「違う。ちゃんと寮母さんに聞いたんだ。お前の部屋番号」
言いづらそうに鼻の横を指先で軽く掻いた。
「なんで?」
「なんで、って。言ったろ。心配だって。ちゃんと眠ってるかと思って」
「ノックして、起こしておいてよく言うわ」
言ってしまって、失言、と天を仰ぐ。
なんであたしは、こういう物言いしか。
手塚は困ったように笑った。
「だよな。ごめん」
柴崎はかぶりを振る。ぶんぶんと。パジャマの襟元をぎゅっと掴んだ。
「違うの。あたしこそごめん。迷惑みたいに言って」
そうじゃないの、と食ってかかりたくなる。
違う。こんな風に言いたいんじゃないの。もっと素直に、気持ちを伝えたいのに。
想いが溢れて、うまく言葉にならない。
「迷惑じゃなかったか」
「そんなこと。――迷惑なわけ、ない」
何度も首を横に振る。
手塚。
来てくれた。目の前で、言葉を交わしてる。胸が早鐘のようにどきどきと鼓動を打ち始める。
停電の夜に。地震の後に、こんなところまで。誰に見咎められるかもしれないのに。わざわざ、懐中電灯を消して。足元も覚束なかっただろうに。
ただ、あたしを心配して?
パジャマの襟元を握る柴崎の両手に、知らず力が篭った。
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