船倉に続く通路に、アルフィンがいるのが見えた。
惚けたように立って、窓の外を眺めている。小さな窓から見えるのは漆黒の宇宙空間だった。魅入られたように、瞬きもせずじっと見ていた。
「どうかしたか」
ジョウは気持ち、そうっと声をかけた。銀河を航行していると、昼夜の感覚があやふやになる。朝でも暗いので、夜の雰囲気を纏うのだ。
ハッとした様子でアルフィンが彼を見る。
「ジョウ、--ううん、別に」
何でもないのと笑う。
ジョウは彼女の隣までいって、少し屈んで船窓を覗いた。何を見ていたのかと思って。
「ホントに何でもないの。倉庫に物を取りに行こうとして、ついぼうっとして」
ジョウは何で?と聞くから、
「ん、俺は煙草を……」
とバツが悪そうに視線を逸らした。
喫煙場所は、排気ダクトがある後部船倉と決めている。本当は私室で吸えたらいいのだが、それはタロスが許してくれない。
アルフィンは渋い顔をした。
「一日、一本までにしてね」
「わかってるよ」
心配してくれているんだと分かっているから、素直に頷く。
で、とジョウは話題を戻した。
「どうしたんだ、こんなところで。ーー疲れた?」
一人で窓の外を飽くことなく見ているから、ふと心配になった。アルフィンの横顔は声をかけにくい雰囲気を醸していた。
「ううん。あたし、ここから見える宇宙(そら)、好きなの。ブリッジから見る景色の次に。なんだか落ち着くんだ」
アルフィンは言った。穏やかな声だった。
「そうなのか」
「ずいぶん遠くまで来ちゃったって思う。そう思うとすごく不思議な感じがする」
ジョウは窓枠に背を持たせかけた。長いのか短いのか、まだまったく分からない人生の不思議、生きていくこと、誰かと偶然めぐり合う不思議。色んな意味合いが詰まっている言葉だと思った。
「うん……分かる気がする」
俺も好きだよ。船の外の真っ黒い空間と、無数の星々がきらめく銀河。自分にとっては生まれて、物心ついた時から傍らにずっとあるもの。なじみ深い景色。
「頭、空っぽになるよな」
「そう。見てて、気が付くと1時間とか平気で流れててびっくりするわ」
「わかる」
二人は目を見合わせて笑う。星のきらめきを目に湛えながらアルフィンは呟いた。
「……吸い込まれそうに綺麗。そして、なんだか怖い……」
一度魅入られたら引き返せない、根源的な恐怖を湛えた、底なしの空間でもある。現世と常世を、ひっくるめて内包したような、くろぐろとした無音の海。
「うん……」
怖いから惹かれるのか、惹かれるから怖いのか。どっちが先か、先も後もないのか。
考えたこともない。それぐらい自分にとっては身近な光景だった。そんな見慣れたものも、アルフィンの目を通して見つめ直すと、また別の表情を見せる。
黒い海原を見やりながらジョウは口を開いた。
「怖くても大丈夫……。俺がいる」
気が付くと、クサいセリフを口にしていた。
アルフィンは驚いたように目を見開いた。ジョウは俄かに照れくさくなった。腕を組み俯いた彼に、彼女は微笑みかけ、
「そうね、あなたがいる。だから大丈夫ね」
そう囁いた。
「……ん」
わずかに赤くなってジョウは顔を上げた。
つややかな彼女の頬が間近にあって、つい手を伸ばしてしまう。
でも触れる前に、その手を止めた。
アルフィンは首を傾げる。「ジョウ?」
「いや……煙草、吸ってるから。いやかと思って」
においがついている指で触れるのが躊躇われた。それぐらいなめらかで清らかな肌だった。
アルフィンは苦笑した。
「何で……嫌なわけないでしょ、触って?」
アルフィンはジョウの手を取って自分のほうに導いた。彼の手を左顎から頬に押し当て頬ずりをする。
ジョウは息を呑む。アルフィンは「煙草臭あい」とわざと言って、彼の指に口を当てた。無骨な、男の人の太い指だった。
きっとここで、これから窓の外の景色を眺めるたび、あたしはいつも思い出すだろう。
煙草のかすかな匂いとともに。ジョウが言ってくれた言葉を。胸の中にいつも。
ーー怖くても大丈夫。俺がいる。
それはきっと、あたしの一生のお守り。アルフィンはそう思った。
END