海である。
いや、かろうじてそこは、海だった。
「うーん。いい天気とはお世辞にも言えないけれど、すごい人出だね」
知り合いからワゴン車を借りて、ようやくたどり着いた海水浴場。
目の上に手をかざして小牧が言った。
そこは、予想通りというかそれを上回るというか、とにかくすごい混み具合だった。
海面がほんのわずかしか見えない。人でごったがえしている。
それでもそこを海と呼ぶなら海だ。――堂上は思った。
大型の台風接近が天気予報で報じられているとはいえ、そこは休日。降らないうちにいくらでも楽しんでしまえ! という享楽的な若者や、逆に嵐のため起こる大波を待つサーファーも結構繰り出している。
とにかくうんざりするほどの人の数だ。黒い頭でいっぱいだ。
さすがにげんなりした顔で手塚が言った。
「本当ですね。なんで混んでるって分かってて、みんな来るんでしょう?」
「そりゃあ、お前、決まってるだろう」
「堂上一正、なんででありますか」
「なんで、って、察しろ。分かれ」
苦虫を噛んだような顔。
「分かれと仰られましても……」
クエスチョンマークを面に貼り付けて首を傾げる手塚との対比を見ながら、小牧がこらえかねたように噴き出した。
「手塚にそんなこと言ったって無理でしょ。班長。
手塚には噛み砕いて言ってあげないと」
「む……」
「あのね、手塚。男の場合は決まってるでしょ。海に来る理由。
水着の女の子に勝る夏の楽しみってある?」
小牧が目の前を行き交う女性に目をやりながら、真顔で言った。
「あ」
なるほど。と目を見開く。
だろうと堂上もしたり顔で頷く。
「まあ、ないだろうな」
男三人が、肩を並べて人で溢れ返る海辺を眺める。
色とりどりの水着姿の女の子たち。まばゆい真夏の海辺の花。
しかしそこにはまだ、彼らの恋人やパートナーの姿は見えなかった。
事の発端は、一週間前にさかのぼる。
「海、行きたいな……」
ぽつりと、柴崎が頬杖をついて呟いた。
そこから、すべては始まった。
その日は日曜だったが、手塚が生憎家の法事とかで出かけてしまい、柴崎は暇をもてあましていた。寮にいても気ぶっせいなので、堂上家に遊びに出かけるとちょうど昼のニュースが入っていて、海水浴場の様子が中継された。
どこかよその県のビーチはからりと憎らしいほどに晴れ上がっていた。郁は、見ているだけで体感気温が上がる気がしたのだが、柴崎はどうやら違ったらしい。
「海に、行きたい」
きゃあきゃあと歓声をあげ、波しぶきを跳ね上げて遊ぶ子どもたちや少女たちを画面越しに眺めながら、柴崎がもう一度繰り返した。
郁はローテーブルの向かいに座って、柴崎と、テレビの画面を交互に見た。
そして、はっと我に返ったように携帯に手を伸ばした。
履歴を呼び出すのももどかしく、ボタンを押す。
相手はすぐに出た。
「もしもし」
「もしもし? 篤さん? あたしですけど」
休日出勤で溜まったデスクワークをこなしている夫を呼び出す。
「おう、どうした?」
電話越しに聞こえる堂上の声が心なしか甘い。オフというよりも、郁からの電話だからだろう。
そんな男心の機微にはまったく忖度せずに、郁はすぐさま用件を切り出した。
「海に行きませんか。――来週にでも」
「はあ?」
唐突で、つい声が出る。
郁はそれに、さらに声をかぶせた。
「海です。景気付けにぱあっと、みんなで」
「みんな?」
って、二人でじゃないのか? お前と俺と。
混乱する堂上をよそに、郁は高らかに宣言した。
「そうです、みんなで海水浴に行きましょう。近場でもいいですから。ねっ、そうしましょう」
言って柴崎に目を移すと、彼女自身も話の急展開に驚いたように郁を見詰め返していた。
「手塚は女の子と海に来たことってあるの?」
「俺ですか? はあ、まあ。学生のころは」
「へえ、意外。案外楽しいスクールライフ送ってたんだね」
「いえ、そういうことは。
海に着くなり、がんがん一人で遠泳してたら、呆れられてすぐに振られました」
小牧がそれを聞くなり腹をよじる。
「て、手塚らしいね」
「どういう意味ですか」
むっとしている手塚を見てさらに小牧が上戸に入る。
そんな二人より、駐車場に停めてあるバンのほうを気にしながら、堂上が言った。
「それにしても、遅いな。女性陣は」
「支度があるんでしょ、いろいろと。女の子なんだから。
笠原さんの水着姿を早く拝みたいのはわかるけど、がっつくのはどうかな?」
「誰ががっついてるか。言いがかりはよせ」
わずかに頬を染めて堂上が噛み付く。小牧はどこ吹く風で流した。
「ふうん、どうだか」
しかし確かに、遅い。水着は前もって服の下に着込んできてるはずなのに、こんなに準備に時間がかかるものなのだろうか。
男連中の頭には、日焼け止めを塗るとか化粧直しをするとかいう工程が浮かばない。じりじりと時間をもてあますしかない。
すでに泳げる体勢になっているのに、だ。パラソルやデッキチェアの設営も完了している。
野営を組むのに比べたら、こんなの屁でもない。そう言うと、ちと下品か。
そのとき、車のドアがスライドする。そして、中からすらりとした白い脚が現れる。
柴崎がまっさきに、続いて 郁が車から降りてきた。最後が毬江だ。
手塚は息を呑む。
隣で堂上もそうするのが伝わった。
「お待たせ」
そう言いながら、三人が駐車場からこちらに早足で近づいてくる。
もちろん、水着姿にチェンジして。
「――夏って、最高だね」
男たちだけに、聞こえる声で、小牧が呟くのが聞こえた。
同感だったが、そう返す余裕も手塚にはなかった。
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これからもおっかけますので、よろしくお願いします(爆)
そして夏らしい連載!!海に行けないので、目一杯楽しみです!!
妙にまじめな小牧がツボです!
拍手でもコメントでも有難うございます!
当地は梅雨明け宣言も出ないまま、秋の気配ですすでに。。。泣
これじゃまずいや!とばかりの意地の?連載です。まったりとお付き合いくださると嬉しいですv