【8】へ
そんな手塚のことなど露知らず。
こちらは堂上に連れ出された柴崎。いや彼女も内心穏やかではなかったのだが。手塚、あれからどうしたかしらと気にはなっていたのだが。
それでも男子寮の一室に通され、ベッドに伏す郁を見た瞬間、手塚のことは頭から消えた。
「……いったい、笠原に何をしたんです。教官」
「何もしてない!」
みなまで言わせず、堂上が喚いた。
「具合が悪そうだったから寝かせてただけだ。その、熱がって服を脱ぎたい、みたいなことは言ったが」
ごにょごにょと語尾が不明瞭となる。視線もわずかに泳ぎだした。
そんな堂上の様子を見て柴崎は悟る。おそらく、この部屋で起こった一部始終を。
ナースの制服の胸元が乱れている。いくつかボタンが外されて鎖骨が覗いている。
スカートの裾もめくれ上がり、脚線美が露だ。
ベッドサイドには、冷えピタの箱や飲みかけのポカリのボトル、濡れタオルにおそらく借り物と思われる電子体温計。そういったものものがローテーブルの上雑然と置かれている。堂上の心配が全部そこに載っているのが見て取れる。
そしてベッドには安らかな寝顔でぐっすり眠る郁。
自然とやれやれ、あんたも罪作りねと笑みがこぼれた。
――やだ。あんたも、ってどういう意味よ。
柴崎は動揺を見せないように、堂上を仰いだ。
「分かりました。大変でしたね。後は任せてください。ちゃんと着替えさせますから」
すべてを悟った口調で言うと、堂上はばつが悪いことこの上ないという顔をこしらえた。
「……すまん」
「全部ご自分でなさっても、よかったのに」
普段は見せない堂上の素の顔を見てたら、なんだか優越感が湧いてきた。
むっつりと堂上が返す。幾分頬に赤みが射している。
「そうはいくか。眠ってる女にしでかすほどこちとら落ちぶれちゃいない」
「あら、やせ我慢?」
「柴崎」
堂上の声のトーンがひとつ下がる。
すみませんと舌を出し、柴崎は堂上をドアに促す。
「着替えさせますからちょっと外してください。終わったら呼びますから」
「……頼む」
おとなしく堂上は従う。その背中を見ながら胸のうち、笠原、あんたはつくづく果報者ねと呟いた。
全部ご自分でなさってもよかったのに。
柴崎にそう言われたとき、心の中を見透かされたかと思って焦った。
やましい気持ちを。
初めはそうするつもりだった。郁にねだられるまま、制服を脱がせてやって汗を浮かべた肌をタオルで拭いてやって。そして。
……でもできなかった。どうしても。
堂上はドアに背を預け、はあと深く息をつく。
実際、スカートの裾をたくし上げ、パンストを脱がしてやろうとした。白のストッキングが目に眩しくて直視できず、手探りでそうした。
でも、じかに郁の太腿に触れたら、手を進められなくなった。
内腿に手を添えただけで硬直した。
温かい郁の体温と、しっとりと熱をたたえた肌の滑らかさ、艶かしいストッキングの肌触り、そういったものが堂上をがんじがらめにした。
真上から郁の寝顔を見入る。
おそらく自分が何をされているかも自覚せず、安心しきって眠りを貪る無邪気な顔がそこにあった。
……すまんな。
なぜか心で侘びて、自分を励ましつつ堂上はそうっとストッキングを吊っているガーターを外す。そしてゴムの部分に手を添えてするするとそれも腿から下ろしていった。
「……ん」
そこで郁がごろんと寝返りを打つ。堂上の手を跳ね除ける勢いで。
堂上は、びっくりしてわずかに後ずさる。郁はうつ伏せになって枕を抱きしめた。
その弾みでガーターベルトが丸見えになる。太腿どころか、その上の下着まで見えてしまい、慌てて堂上はスカートの裾を直してやった。
片方の脚だけ中途までストッキングを下げられたしどけない格好で、郁はむにゃむにゃと寝言を言った。
「きょうかん、もう食べられないです……」
堂上の目が点になる。
「ケーキ、大きすぎ……。無理」
言うだけ言って、すうすうとまた寝息を立てる。
ずる。
気が抜けて、思わずその場にくず折れてしまいそうな堂上だった。
一体お前は、このシチュでどんな夢を見てるんだ一体。
そんな思いが喉までせりあがってきていたが、必死で飲み下した。その身体に掛け布団をそうっとかけてやる。
無理だ。俺には。
お前を脱がせるなんてできない。――少なくとも、今は。
今夜は無理だよ。
諦観にも似た思いで窓の外に目をやると、部屋の真ん中に立ち尽くす自分の姿とちらつく雪が目に入った。
雪になってたのか……。全然気がつかなかったな。
自分がどれだけテンパっていたのか、そのときようやく気づかされた堂上だった。
そして、手塚はひとり、柴崎の部屋を出てパーティーの会場に戻ってきていた。ビンゴ大会も終わったようで、宴も山場を過ぎたようだ。いい具合にだらりと緩んだ空気が流れている。
柴崎のマントを羽織ったまま食べ物の置かれたテーブルに向かう。上体は裸だったが、もうどうでもいい。構うもんかという捨て鉢な気分だった。腹が減った。無性に。
なんでもいいから腹に入れたい。テーブル残っているものを適当にトングで摘んで取り皿に移していたら、同期の連中にわらわらと囲まれた。
「手塚お前、今までどこに行ってた。柴崎さんは?」
「知らん」
素っ気無く答える。
行く先は知っていたが教えてやる気にはなれなかった。
中の一人が食って掛かった。
「知らんってことがあるかよ。一緒に出て行ったくせに。探してんだよ、みんな。柴崎さんがいないと、せっかくのパーティーなのに華がないじゃないか」
そこで今気がついたというように、しげしげと手塚の姿を見つめる。
「手塚、それって柴崎さんのマントじゃないのか? 何でお前が着てるんだよ」
「違う。自前だ」
鳥のから揚げに手づかみでかぶりつきながら平然と嘘をつく。もうどうでもいい。マナーもへったくれもあるもんか。
「自前って……いつの間にか眼帯もしてないし、どうしたんだよ、ほんとに」
同期の声音がけげんそうになっていく。
「見えづらいから外した。衣替えだ。ドレスチェンジ」
「ふーん。まあ、いいけど。ったくどこ行っちゃったんだろなー。ビンゴ大会にもいないし」
いぶかしみながらも会場を探す。手塚はむしゃむしゃ咀嚼した。油のついた親指を舌先で舐め上げる。それはさっき部屋で柴崎が含んだ指だった。
「さあ。どこかで男と一緒なんじゃないのか」
堂上と今一緒にいるから、あながち外れではない。しかし同期は目を剥いた。
「男? 柴崎さん、男といるのか?」
「さ、さあ。そうかもしれないなって言っただけで、断定したわけじゃ」
詰め寄られ、から揚げを思わず取り落としそうになった。
「付き合ってる人がいるのか。そんな素振り、全然見えなかったのに」
「まさか……寮生?」
あー、もう、面倒くさい。柴崎の信者たちの相手をまともにするのも億劫になってきた。
手塚はエクステの頭を掻いて手近にあったアルコールをぐうっと煽った。カクテルだかシャンパンだか判別もしない。酒だったらなんでもいいというやさぐれた気分だった。
煽ったとき、首のあたりがマントから覗いて同期の目に晒される。
「あ」
みな一様に同じ形に口を開いた。視線は手塚の首筋に据えたまま。
「な、なんだよ」
「お前、その傷、さっき柴崎さんにつけられたやつだよな」
平坦な口調で確認してくる。
あ、まずい。そう思ったが、時既に遅し。
手で隠す間もなく包囲網を狭められた。
「そうだよこいつ、柴崎さんに噛み付かれたんだ、あつかましいやつ!」
「あつかましいって、俺が頼んだわけじゃない!」
「うるさい。見せてみろその痕を。くっそおいいなー生々しくて。お前ばっかりいい思いして」
「柴崎さんの噛み痕……」
同期の一人の目が怪しく半開きとなる。視線は手塚の首筋に固定したまま。
う。手塚は思わず後ずさり。
目が、目が完全に据わってるぞこいつ。
「おい、待て。ばかなことは考えるなよお前?」
「ばかでもいい。柴崎さんと間接キスできるなら、俺はお前を吸いたい」
じりじりと間合いを詰める。カンペキ、目がイってしまっている。
逃げようにも囲まれているので、手塚に退路は無い。
「吸いたいって、無茶言うな、正気に戻れ」
「俺たちはいたって正気だ」
「うそつけ!」
手塚は叫んだ。それと同時にわーっと一斉に襲い掛かられる。四方八方から男どもに群がられ、唇を寄せられた。
こ、こいつら。お前らのほうが吸血鬼っぽいじゃないか。まるきり!
「うわ、よせっ。やめろって!」
必死の抵抗の手塚。しかし、数に勝る柴崎の熱烈ファン。
唇をタコのように突き出して彼に迫る。
「柴崎さーん。いただきまーす」
世にも見苦しい男たちの攻防が、パーティー会場の一角で始まっていた。
【10】
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そんな手塚のことなど露知らず。
こちらは堂上に連れ出された柴崎。いや彼女も内心穏やかではなかったのだが。手塚、あれからどうしたかしらと気にはなっていたのだが。
それでも男子寮の一室に通され、ベッドに伏す郁を見た瞬間、手塚のことは頭から消えた。
「……いったい、笠原に何をしたんです。教官」
「何もしてない!」
みなまで言わせず、堂上が喚いた。
「具合が悪そうだったから寝かせてただけだ。その、熱がって服を脱ぎたい、みたいなことは言ったが」
ごにょごにょと語尾が不明瞭となる。視線もわずかに泳ぎだした。
そんな堂上の様子を見て柴崎は悟る。おそらく、この部屋で起こった一部始終を。
ナースの制服の胸元が乱れている。いくつかボタンが外されて鎖骨が覗いている。
スカートの裾もめくれ上がり、脚線美が露だ。
ベッドサイドには、冷えピタの箱や飲みかけのポカリのボトル、濡れタオルにおそらく借り物と思われる電子体温計。そういったものものがローテーブルの上雑然と置かれている。堂上の心配が全部そこに載っているのが見て取れる。
そしてベッドには安らかな寝顔でぐっすり眠る郁。
自然とやれやれ、あんたも罪作りねと笑みがこぼれた。
――やだ。あんたも、ってどういう意味よ。
柴崎は動揺を見せないように、堂上を仰いだ。
「分かりました。大変でしたね。後は任せてください。ちゃんと着替えさせますから」
すべてを悟った口調で言うと、堂上はばつが悪いことこの上ないという顔をこしらえた。
「……すまん」
「全部ご自分でなさっても、よかったのに」
普段は見せない堂上の素の顔を見てたら、なんだか優越感が湧いてきた。
むっつりと堂上が返す。幾分頬に赤みが射している。
「そうはいくか。眠ってる女にしでかすほどこちとら落ちぶれちゃいない」
「あら、やせ我慢?」
「柴崎」
堂上の声のトーンがひとつ下がる。
すみませんと舌を出し、柴崎は堂上をドアに促す。
「着替えさせますからちょっと外してください。終わったら呼びますから」
「……頼む」
おとなしく堂上は従う。その背中を見ながら胸のうち、笠原、あんたはつくづく果報者ねと呟いた。
全部ご自分でなさってもよかったのに。
柴崎にそう言われたとき、心の中を見透かされたかと思って焦った。
やましい気持ちを。
初めはそうするつもりだった。郁にねだられるまま、制服を脱がせてやって汗を浮かべた肌をタオルで拭いてやって。そして。
……でもできなかった。どうしても。
堂上はドアに背を預け、はあと深く息をつく。
実際、スカートの裾をたくし上げ、パンストを脱がしてやろうとした。白のストッキングが目に眩しくて直視できず、手探りでそうした。
でも、じかに郁の太腿に触れたら、手を進められなくなった。
内腿に手を添えただけで硬直した。
温かい郁の体温と、しっとりと熱をたたえた肌の滑らかさ、艶かしいストッキングの肌触り、そういったものが堂上をがんじがらめにした。
真上から郁の寝顔を見入る。
おそらく自分が何をされているかも自覚せず、安心しきって眠りを貪る無邪気な顔がそこにあった。
……すまんな。
なぜか心で侘びて、自分を励ましつつ堂上はそうっとストッキングを吊っているガーターを外す。そしてゴムの部分に手を添えてするするとそれも腿から下ろしていった。
「……ん」
そこで郁がごろんと寝返りを打つ。堂上の手を跳ね除ける勢いで。
堂上は、びっくりしてわずかに後ずさる。郁はうつ伏せになって枕を抱きしめた。
その弾みでガーターベルトが丸見えになる。太腿どころか、その上の下着まで見えてしまい、慌てて堂上はスカートの裾を直してやった。
片方の脚だけ中途までストッキングを下げられたしどけない格好で、郁はむにゃむにゃと寝言を言った。
「きょうかん、もう食べられないです……」
堂上の目が点になる。
「ケーキ、大きすぎ……。無理」
言うだけ言って、すうすうとまた寝息を立てる。
ずる。
気が抜けて、思わずその場にくず折れてしまいそうな堂上だった。
一体お前は、このシチュでどんな夢を見てるんだ一体。
そんな思いが喉までせりあがってきていたが、必死で飲み下した。その身体に掛け布団をそうっとかけてやる。
無理だ。俺には。
お前を脱がせるなんてできない。――少なくとも、今は。
今夜は無理だよ。
諦観にも似た思いで窓の外に目をやると、部屋の真ん中に立ち尽くす自分の姿とちらつく雪が目に入った。
雪になってたのか……。全然気がつかなかったな。
自分がどれだけテンパっていたのか、そのときようやく気づかされた堂上だった。
そして、手塚はひとり、柴崎の部屋を出てパーティーの会場に戻ってきていた。ビンゴ大会も終わったようで、宴も山場を過ぎたようだ。いい具合にだらりと緩んだ空気が流れている。
柴崎のマントを羽織ったまま食べ物の置かれたテーブルに向かう。上体は裸だったが、もうどうでもいい。構うもんかという捨て鉢な気分だった。腹が減った。無性に。
なんでもいいから腹に入れたい。テーブル残っているものを適当にトングで摘んで取り皿に移していたら、同期の連中にわらわらと囲まれた。
「手塚お前、今までどこに行ってた。柴崎さんは?」
「知らん」
素っ気無く答える。
行く先は知っていたが教えてやる気にはなれなかった。
中の一人が食って掛かった。
「知らんってことがあるかよ。一緒に出て行ったくせに。探してんだよ、みんな。柴崎さんがいないと、せっかくのパーティーなのに華がないじゃないか」
そこで今気がついたというように、しげしげと手塚の姿を見つめる。
「手塚、それって柴崎さんのマントじゃないのか? 何でお前が着てるんだよ」
「違う。自前だ」
鳥のから揚げに手づかみでかぶりつきながら平然と嘘をつく。もうどうでもいい。マナーもへったくれもあるもんか。
「自前って……いつの間にか眼帯もしてないし、どうしたんだよ、ほんとに」
同期の声音がけげんそうになっていく。
「見えづらいから外した。衣替えだ。ドレスチェンジ」
「ふーん。まあ、いいけど。ったくどこ行っちゃったんだろなー。ビンゴ大会にもいないし」
いぶかしみながらも会場を探す。手塚はむしゃむしゃ咀嚼した。油のついた親指を舌先で舐め上げる。それはさっき部屋で柴崎が含んだ指だった。
「さあ。どこかで男と一緒なんじゃないのか」
堂上と今一緒にいるから、あながち外れではない。しかし同期は目を剥いた。
「男? 柴崎さん、男といるのか?」
「さ、さあ。そうかもしれないなって言っただけで、断定したわけじゃ」
詰め寄られ、から揚げを思わず取り落としそうになった。
「付き合ってる人がいるのか。そんな素振り、全然見えなかったのに」
「まさか……寮生?」
あー、もう、面倒くさい。柴崎の信者たちの相手をまともにするのも億劫になってきた。
手塚はエクステの頭を掻いて手近にあったアルコールをぐうっと煽った。カクテルだかシャンパンだか判別もしない。酒だったらなんでもいいというやさぐれた気分だった。
煽ったとき、首のあたりがマントから覗いて同期の目に晒される。
「あ」
みな一様に同じ形に口を開いた。視線は手塚の首筋に据えたまま。
「な、なんだよ」
「お前、その傷、さっき柴崎さんにつけられたやつだよな」
平坦な口調で確認してくる。
あ、まずい。そう思ったが、時既に遅し。
手で隠す間もなく包囲網を狭められた。
「そうだよこいつ、柴崎さんに噛み付かれたんだ、あつかましいやつ!」
「あつかましいって、俺が頼んだわけじゃない!」
「うるさい。見せてみろその痕を。くっそおいいなー生々しくて。お前ばっかりいい思いして」
「柴崎さんの噛み痕……」
同期の一人の目が怪しく半開きとなる。視線は手塚の首筋に固定したまま。
う。手塚は思わず後ずさり。
目が、目が完全に据わってるぞこいつ。
「おい、待て。ばかなことは考えるなよお前?」
「ばかでもいい。柴崎さんと間接キスできるなら、俺はお前を吸いたい」
じりじりと間合いを詰める。カンペキ、目がイってしまっている。
逃げようにも囲まれているので、手塚に退路は無い。
「吸いたいって、無茶言うな、正気に戻れ」
「俺たちはいたって正気だ」
「うそつけ!」
手塚は叫んだ。それと同時にわーっと一斉に襲い掛かられる。四方八方から男どもに群がられ、唇を寄せられた。
こ、こいつら。お前らのほうが吸血鬼っぽいじゃないか。まるきり!
「うわ、よせっ。やめろって!」
必死の抵抗の手塚。しかし、数に勝る柴崎の熱烈ファン。
唇をタコのように突き出して彼に迫る。
「柴崎さーん。いただきまーす」
世にも見苦しい男たちの攻防が、パーティー会場の一角で始まっていた。
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