夜。
ミネルバのブリッジにひとり、アルフィンがいた。
いつもの航宙士席に着いて、少し前屈みになってコンソールパネルに頬づえをついている
永久運動のように目の前を流れていく銀河を眺めながら物思いに耽っていた。
「……どうした? ぼんやりして」
声をかけられて、初めてジョウがブリッジに来ていることに気づいた。
「ジョウ。びっくり、した」
いつの間に? ドアが開閉したはずだが、全然気づかなかった。
自分の隣に立つ彼を見上げる。ジョウは「さっき、夕飯の時、あまり元気がなかったから」と気遣わしげに顔を覗き込んだ。
あ……。
それで、ここに? あたしを気にして。
もう寝む時間なのに。そう思うとなんだか申し訳ないような、見透かされているのが気恥ずかしいような気になった。
「よくここがわかったわね」
「うん。まあ」
ジョウは言葉を呑み込む。
何か考え事があると、アルフィンがここに来る癖、本人は気づいていないんだろうか。
「野生の嗅覚」
そう答えると、
「なにそれ」
ぷっと吹き出してアルフィンが笑った。
「……で、どうかしたのか。何かあった?」
表情が和らいだのを見て、ジョウが切り出す。
アルフィンはためらった。
ジョウから目を逸らし、パネルを見つめる。
シートに脚を乗せ、両腕で膝を抱えた。その上に顎を乗せ、気持ち前屈みになる。
「ごめん。さっき、たまたまピザンのニュースが入ってて。お父さまとお母さまとか、宮殿の様子とか映ってたの。それでね」
「ああ……」
ジョウは納得した。
そうか、それでか。
彼女が故郷を飛び出してから丸2年。一度も里帰りしていないし、話題にもでていない。
けれども。
ジョウはなんと声をかけたらいいか迷う。迷った末、
「懐かしかったか」
優しい目でそう問いかけた。
「うん」
顔を見られたくないのか、屈んだままでアルフィンが頷く。
「――帰りたくなった?」
「……」
アルフィンは答えなかった。それが、答えとなった。
ジョウはアルフィンの背中に手を伸ばした。軽くさすってやる。
「帰るか。次の休暇にでも」
そう言うと、ぴくっとアルフィンが反応する。
心持ち顔を上げ、またスクリーンに広がる銀河を眺める。
そして思い直したように首を横に振った。
「ううん。いいの。大丈夫」
「アルフィン」
「ちょっとホームシックになっただけ。ちょっとだけね」
話題を変えるように笑顔で言った。
「誰にでもあるでしょう。少しだけでいい、帰りたいなあ、家族の顔を見たいなあって思うとき。ジョウも、そんなときない?」
ジョウはアルフィンから手を離した。俺? と急に話を振られたことに驚いたように。
「あなただってふるさとはアラミスだし、お父さまはご健在だけど長いこと帰ってないし。仕事に疲れた時とかふらっと戻りたいって思うこともあるでしょう」
「あ……うーん。まあ。全くないとは言えないが」
「ほらね」
誰にもあることよ。ホームシックなんて。
だから一晩眠れば治るわ。大丈夫。そう続けようとしたのだが。
「確かに俺は、だいぶ長いことアラミスに帰ってないし親父にも会ってないけれど」
ジョウが言葉を継いだ。
アルフィンを見つめながら、
「俺の家族は、いつも船に乗ってるから。タロスやリッキーや、……アルフィンや。いつだってこっちの家族がいるから。俺はホームシックにかかったことはない」
「……」
アルフィンが首を巡らしてジョウを見上げる。
青い目を見開いて。
ジョウは幾分照れくさいのか、目を逸らした。そして
「俺がいつもただいまって帰ってくると、君がお帰りって言ってくれる。迎えてくれる。だから、俺のホームはここだ。故郷から離れて寂しいと思ったことなんて、ないよ」
もう一度、アルフィンの背に手を置く。
優しい手。温かい手。
アルフィンの背中からじんわりとジョウの想いが伝わる。
アルフィンはふふっと微笑った。
「――じゃああたしのホームもここね。ジョウと一緒ね」
ジョウも安心したように笑顔になった。
「そうだ。帰る場所が増えたと思えばいいんだ。ふるさとが増えるんだよ。そう考えた方がいいだろ」
「素敵」
そういう考え方をするあなたが。それを口にして、あたしを励まそうとしてくれるジョウが好き。
心から。
「でもな、しんどいときは無理するな。ピザンに帰りたいときは帰りたいって口にしていいんだ。お父さんやお母さん、……じゃなく、国王や王妃に連絡したいときは遠慮せず連絡していいんだぞ。俺には、我慢しないでちゃんと言ってくれ。頼むから」
真剣な口調で、それだけ言った。本心だった。
アルフィンは自分のことを心配してここまで来てくれたジョウの気持ちを再確認できたようで、胸がいっぱいになった。うんとまっすぐ頷いて、それから、
「お父さん、お母さん、でいいのよ。堅苦しくなくて」
と付け足す。
「そっか」
ジョウは笑った。
彼の側にいると温かい温もりに包まれて、無性に帰りたい、懐かしい人たちに会いたいという切なさが緩やかに中和されていくのがわかった。
ジョウを見つめながらアルフィンは思う。
この人はあたしのいるここを、この場所をホームと言った。
いつでも君が俺を「お帰り」と迎えてくれるからと。
ひとが帰る場所は、年齢を経るごとに変わっていく。誰かにとってそれはひとつじゃなくていい。増えていっていい。
そういうところがたくさんあれば、もっとしあわせになるだろう?
それを教えてくれてるんだよね。ジョウは。
「あとで、電話してみるね。宮殿に。――回線、貸してくれる?」
めちゃくちゃ長距離だけど。
アルフィンがそう尋ねると、
「もちろん」
ジョウはアルフィンの背をぽんと叩いた。
END
苦しい想いをしている人が、もしもいましたら、少しでも楽になるといいな、と思いました…
ミネルバのブリッジにひとり、アルフィンがいた。
いつもの航宙士席に着いて、少し前屈みになってコンソールパネルに頬づえをついている
永久運動のように目の前を流れていく銀河を眺めながら物思いに耽っていた。
「……どうした? ぼんやりして」
声をかけられて、初めてジョウがブリッジに来ていることに気づいた。
「ジョウ。びっくり、した」
いつの間に? ドアが開閉したはずだが、全然気づかなかった。
自分の隣に立つ彼を見上げる。ジョウは「さっき、夕飯の時、あまり元気がなかったから」と気遣わしげに顔を覗き込んだ。
あ……。
それで、ここに? あたしを気にして。
もう寝む時間なのに。そう思うとなんだか申し訳ないような、見透かされているのが気恥ずかしいような気になった。
「よくここがわかったわね」
「うん。まあ」
ジョウは言葉を呑み込む。
何か考え事があると、アルフィンがここに来る癖、本人は気づいていないんだろうか。
「野生の嗅覚」
そう答えると、
「なにそれ」
ぷっと吹き出してアルフィンが笑った。
「……で、どうかしたのか。何かあった?」
表情が和らいだのを見て、ジョウが切り出す。
アルフィンはためらった。
ジョウから目を逸らし、パネルを見つめる。
シートに脚を乗せ、両腕で膝を抱えた。その上に顎を乗せ、気持ち前屈みになる。
「ごめん。さっき、たまたまピザンのニュースが入ってて。お父さまとお母さまとか、宮殿の様子とか映ってたの。それでね」
「ああ……」
ジョウは納得した。
そうか、それでか。
彼女が故郷を飛び出してから丸2年。一度も里帰りしていないし、話題にもでていない。
けれども。
ジョウはなんと声をかけたらいいか迷う。迷った末、
「懐かしかったか」
優しい目でそう問いかけた。
「うん」
顔を見られたくないのか、屈んだままでアルフィンが頷く。
「――帰りたくなった?」
「……」
アルフィンは答えなかった。それが、答えとなった。
ジョウはアルフィンの背中に手を伸ばした。軽くさすってやる。
「帰るか。次の休暇にでも」
そう言うと、ぴくっとアルフィンが反応する。
心持ち顔を上げ、またスクリーンに広がる銀河を眺める。
そして思い直したように首を横に振った。
「ううん。いいの。大丈夫」
「アルフィン」
「ちょっとホームシックになっただけ。ちょっとだけね」
話題を変えるように笑顔で言った。
「誰にでもあるでしょう。少しだけでいい、帰りたいなあ、家族の顔を見たいなあって思うとき。ジョウも、そんなときない?」
ジョウはアルフィンから手を離した。俺? と急に話を振られたことに驚いたように。
「あなただってふるさとはアラミスだし、お父さまはご健在だけど長いこと帰ってないし。仕事に疲れた時とかふらっと戻りたいって思うこともあるでしょう」
「あ……うーん。まあ。全くないとは言えないが」
「ほらね」
誰にもあることよ。ホームシックなんて。
だから一晩眠れば治るわ。大丈夫。そう続けようとしたのだが。
「確かに俺は、だいぶ長いことアラミスに帰ってないし親父にも会ってないけれど」
ジョウが言葉を継いだ。
アルフィンを見つめながら、
「俺の家族は、いつも船に乗ってるから。タロスやリッキーや、……アルフィンや。いつだってこっちの家族がいるから。俺はホームシックにかかったことはない」
「……」
アルフィンが首を巡らしてジョウを見上げる。
青い目を見開いて。
ジョウは幾分照れくさいのか、目を逸らした。そして
「俺がいつもただいまって帰ってくると、君がお帰りって言ってくれる。迎えてくれる。だから、俺のホームはここだ。故郷から離れて寂しいと思ったことなんて、ないよ」
もう一度、アルフィンの背に手を置く。
優しい手。温かい手。
アルフィンの背中からじんわりとジョウの想いが伝わる。
アルフィンはふふっと微笑った。
「――じゃああたしのホームもここね。ジョウと一緒ね」
ジョウも安心したように笑顔になった。
「そうだ。帰る場所が増えたと思えばいいんだ。ふるさとが増えるんだよ。そう考えた方がいいだろ」
「素敵」
そういう考え方をするあなたが。それを口にして、あたしを励まそうとしてくれるジョウが好き。
心から。
「でもな、しんどいときは無理するな。ピザンに帰りたいときは帰りたいって口にしていいんだ。お父さんやお母さん、……じゃなく、国王や王妃に連絡したいときは遠慮せず連絡していいんだぞ。俺には、我慢しないでちゃんと言ってくれ。頼むから」
真剣な口調で、それだけ言った。本心だった。
アルフィンは自分のことを心配してここまで来てくれたジョウの気持ちを再確認できたようで、胸がいっぱいになった。うんとまっすぐ頷いて、それから、
「お父さん、お母さん、でいいのよ。堅苦しくなくて」
と付け足す。
「そっか」
ジョウは笑った。
彼の側にいると温かい温もりに包まれて、無性に帰りたい、懐かしい人たちに会いたいという切なさが緩やかに中和されていくのがわかった。
ジョウを見つめながらアルフィンは思う。
この人はあたしのいるここを、この場所をホームと言った。
いつでも君が俺を「お帰り」と迎えてくれるからと。
ひとが帰る場所は、年齢を経るごとに変わっていく。誰かにとってそれはひとつじゃなくていい。増えていっていい。
そういうところがたくさんあれば、もっとしあわせになるだろう?
それを教えてくれてるんだよね。ジョウは。
「あとで、電話してみるね。宮殿に。――回線、貸してくれる?」
めちゃくちゃ長距離だけど。
アルフィンがそう尋ねると、
「もちろん」
ジョウはアルフィンの背をぽんと叩いた。
END
苦しい想いをしている人が、もしもいましたら、少しでも楽になるといいな、と思いました…
コメントありがとうございます。
ジョウが、大やけどを負った時、帰省の話は出たかもしれないね。ただ、アルフィンが断っただろうけどね。
次の帰省は、結婚報告かな?