梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

テロと戦争の間

2011-05-03 08:27:10 | 雑記
うさま7・ビンラディンが殺されたと言うニュースが流れている、「殺した」と言うコメントに抵抗は有るが此れは此れで仕方ないと思う、一般人をテロの対象としたのは彼だったと言える、無論多少は有ったが此れだけ大規模に行い、それを標榜したのは彼だったろう、その前に一般人が巻き込まれた事もあったがそれはあくまで巻き込まれただけで標的では無かった。
政敵である国や思想のシンボルを標的にしたものが殆どで最初から普通の生活を営む生活圏を標的としたのはアルカイダが始めたテロだった、
日本にも多少のテロはあった、一人一殺を掲げた北一騎と言うテロリストが有名だが此れも標的は政治家と政商だった、只の熱病だった日本赤軍も対象は政商と彼らが決めた企業が主だった、何故政治家が標的にならないのか少々解らない連中だが中東まで行ってテルアビブで無差別乱射事件を起こす事になるがそれでも基本は欧米各国の軍事施設か大使館が標的だった。
しかしテロで無ければ此れを最初に大規模に行ったのは他ならないアメリカ合衆国だった、ナチスがロンドン空襲をV1・V2も含めて行ったがそれ以外は都市が戦場になった事は有っても軍事施設の無い一般人の街を攻撃したのはアメリカ軍で有る事は歴史的事実だ、
第2次大戦終盤にアメリカ軍は東京の下町を絨毯爆撃する、海岸線の街を艦砲射撃で破壊する、下町大空襲は先ず焼夷弾で円を描く様に火の壁を作り、その中に何千発と言う焼夷弾を落としていった、この爆弾はコンクリートの建物自体には効果が薄い、木造建築を効率よく焼きつくす為に新たに作られたものである、
つまり軍事施設には効果の少ない爆弾をわざわざ作った上太平洋を越えて持って来たわけである。艦砲射撃もまず海岸線から遠い地点から射撃を初めて徐々に海岸側に下げてくる、此れも「出来る限り多くの人間を逃がさずに殺戮する」為の攻撃で浜松で言えば三方原に航空基地が有ったが此れは訓練基地で戦闘機すら無い、しかし、浜松市は破壊される。
ベトナムでも「ゲリラが逃げ込むから」と言う理由で壊滅させられた村はかなりの数になった、
しかしこれと同じ事をし返したら同じレベルの者になってしまう、それは決して新たな世界や文化は産まない、ビンラディンを処刑してもテロの根が無くなる訳ではない、しかしあの行為を英雄視し続ける事は留める必要があった、
イスラム原理主義が宗教的な問題だとしても情報はすでに国境を無くして居る、その教えに矛盾が有ると指摘されたらそれは教義として対処しなければ内包する不満は蓄積する、大きなお世話では済まないのだ。


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