梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

マイカーその5・ワゴン

2010-06-10 09:09:32 | 日記
その頃勤めていた会社がタウンエースと言う小型ワゴンを買った、カローラの車体を流用した3列シートの8人乗り、丁度その頃遊んでいた友人達と出掛けるのに都合が良い、友人は喫茶店で知り合った友人とその横繋がりで職業から出身地年齢と見事に違う、北は北海道から南は熊本まで、30代後半から10代後半まで、仕事も塗装工・電気店員・タクシー運転手・喫茶店の店員から短大女子までで素晴らしいと言いたいグループだった、大抵週末には知り合った喫茶店に集まって勢いでどこかに行く、丁度持っていた車の車検が切れたのでワゴンを買った、日産に吸収されたが未だ社名の残っていたプリンス自動車のホーミーと言う少し大型の物、元々プリンスフォーマーと言う1tトラックが有って此れをバンにしていたのだが5ナンバーにして「ホーミー」として売り出していた、此れを中古で買ったのだが友人の一人に沖縄出身の奥さんが居て「ホーミーと言うのは琉球語で女性自身をさす言葉」だと教えてくれた、こちらで言うと「お**こ」と言う車名が町中を走っている訳だ。この頃は色々と面白い事がある、ある日海までドライブしようと言う話になって男4人と女子1名で早い時間に待ち合わせたが一人が来ない、大体朝が弱く難しいと思ったのだがどうしても行きたいと言うので約束をしたが案の定出て来ない、そこでアパートまで言ってみると案の定寝ている、本人曰く「未だ寝たいけど絶対行きたい」と言う、「よし!」と言う事になりパジャマのままの彼を立たせて寝ていた布団を荷台に入れて半身を最後部の椅子の下に置いてそのまま寝かせて出発した、東名高速を下って確か日本平で休憩をしていたら矢と起きてきたのだがパジャマのままである、休憩中の人達から奇異の目で見られたのだが本人は気にもせずそのまま休憩所に入って蕎麦かなんかを食べてまた寝てしまった、結局彼はそのまま1日パジャマで過ごして御前崎付近の海岸などを散歩していたがその彼も今では67~8の筈、最近は連絡も取らないがどうしているのだろうか,その後はしばらくこういったタイプが続く、この後が恐らく日産のバネットコーチと言う奴で元々はサニーのエンジンだったがブルのエンジンを載せたスポーツタイプが有った、此れは良く走った、この頃は行き付けの飲み屋の親父と素潜りで真鶴半島から伊豆半島を巡る事が多くなる、飲み屋が閉店した後商売物のおかずと残った飯を握り飯にして深夜から出掛け、テントをだったり車中泊だったりで朝を向かえ、朝飯を済ませてから潜る、もう25年も経って時効だと思うから話せるが、結構サザエやあわびを取った、魚もべらが良く取れた、シッタカ、何だっけ岩についた買いで鹿児島では良く味噌汁の具にすると言う奴、又蛸が良く取れたが有る時漁協に見つかり始末書を書かされてから回数は減った、その親父も今では70になって若い時の不摂生がたたり寝たきりになってしまった、時は残酷なものだ


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