梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

臓器移植

2010-08-12 08:59:37 | 日記
新臓器移植法と言う物が発令され、20歳代の男性が脳死判定で臓器提供が行われた、1日たったら少しトーンダウンをしたがかなりの報道ぶりだった、この移植で随分多くの患者が救われた様だ、私と女房はお互いに「役に立つなら何でも使ってくれれば良い」と言う意思の確認はしている、いずれにしても骨にしてしまうなら他の人の役に立つならそれに越した事は無いと言う事だが、まあこの歳まで来ると使えるかどうかは分からないが、問題になっているのは恐らく脳死判定の事だろう、未だ心臓は動いている、呼吸器を取らなければ呼吸をして居る、未だ死んでいない、と言うのが家族の思いなんだろう、私は多くの人を病気で亡くし病院で分かれて来た、心臓が動いていても脳波の波形が真っ直ぐになってあの「「ピー」と言う音を聞くと(ああ、逝ってしまったな)と感じる、この時点で臓器を取り出す事に抵抗があるのかも知れない。しかし見方を変えると自分の身内の臓器が未だ他の人の体の中で動いていると思うと暖かな気持ちになるのではないかと思うがそう思うのは未だ当事者ではないからだろうか、死を持って自分の人生は終える、その後は残された人間の問題で彼らが忘れてしまえばそこで死後すら終える、生まれて生きて死ぬ、それだけで充分な気がする、都内で墓を買おうとすると大変な金が掛かる、私たちには未だ墓が無い、自分の墓は要らないからと女房には言っているのだが「墓参りする場所が無いと子供たちが困る」と言う、内心(あんまり困らないんじゃないか)と思っているがまあ本人達はそうも言えまい、願わくば海に散骨が良いかな、などと考えているがかえって大変かもしれないな、こうなると此れも我侭かもしれない、しかし今からどうやって老後を過ごすかすら決められないのに墓どころでは無い、子供に迷惑は掛けたくないので頑張るしかないのだが、こんな人間が仕事をなくしたら失踪するのかも知れないかな、と考える事もある、兎に角金が無いと病気にも掛かれないし死んでも家族に迷惑を掛けてしまう、もう少し景気が回復して死後の事位自分の責任で納めたい物だ、


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