色々と調べていたら鑑真和尚ゆかりの、舎利塔があるとの事で見てきました。
象鼻山公園の西南側に位置し、唐時代に作られて、現在の塔は明時代に再建されたようです。
鑑真(688年 - 763年)の渡航計画は挫折の連続であった。ある時は船を出す前、ある時は
船が難破した。748年、5回目の渡航計画では嵐に遭って船が漂流し、中国最南端の海南島まで
流されてしまった。陸路揚州へ戻る途中、桂林で約1年間「開元寺」に滞在したとの事。
残念ながら現在、開元寺は無く舎利塔のみ残っているようです。
残念ながら扉は閉じられており、中を見る事は出来ませんでした。
琉球を経て天平勝宝5年(753年)12月、6回目の渡航計画でようやく、来日に成功
薩摩国阿多郡秋妻屋浦…現在の鹿児島県南さつま市坊津町秋目に上陸しました。
鑑真は当時既に66歳になっていた。(ネットより抜粋)
鹿児島県南さつま市坊津町秋目にある
鑑真和尚の上陸記念碑
鹿児島県南さつま市坊津町秋目にある「鑑真記念館」
※上記2枚の画像は「南さつま市観光協会」の許可を得てHPより転載
故郷の鹿児島、現在住んでいる桂林にも鑑真和尚が上陸したという歴史を知って、不思議な縁を
感じています。日本人の観光客の皆さんも、桂林へお越しの際は是非、舎利塔も見学してお帰りに
なる事をお勧めします。