常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ジャガラモガラ

2012年07月12日 | 日記


天童から山寺方面へ向かう貫津地区に、ジャガラモガラという奇妙な名の山地がある。
ここには風穴というものがあって、穴から冷たい風が吹いて、ここだけ気温も低いようである。事実、草木も高山性のものが、低地のこの山地に自生している。

ここは親捨て伝説の地だ。昔、この土地では、年寄りたちを山に捨てた。捨てられた年寄りたちは、家に帰りたがって泣きわめいた。大勢の年寄りたちの泣きわめく声が、麓の村に反響して聞えてきた。親を捨てたものたちは、この声が耳にささり、なんとも辛い。村人たちはジャンガラ、モンガラ、ブリキ缶や鍋や太鼓を打ちならし、年寄りたいの声を消した。

親を捨てて楽になったと喜ぶのものはいない。辛く悲しい思いにとらわれている。そこへ、反響するように聞えてくる親たちの鳴き声である。家にあるもの、音の出るものを持ち寄って、ジャンガラ、モンガラと鳴らし歩くのは、やがて、自分たちもやがて来る親と同じ姿をかき消すためのものなのだ。ジャガラモガラの地名の由来である。

昔話には「姥捨て」の物語がある。

昔、孝行な兄んにゃがいた。その頃、殿様の命令で、60歳になった年寄りは、山に捨てねば
ならなかった。
兄が爺様を背負って山を登って行くと、爺様はしきりに木の枝を折っている。
「なえだまんず、爺様。また家さ戻ってくるつもりしてえんだが」と聞くと、おまえが迷わず家へ戻るための目印だという。

兄は親心をありがたく思い連れ帰って、穴倉に爺様をかくしておいた。
隣の村の悪い殿様が、兄の村の殿様に難題を持ちかけた。「灰縄を千ひろ持って来い」という難題に困っていると、爺様が方法を教える。
「ワラ縄をなって塩水に漬け、石皿にあげて焼き、崩さぬように持っていけ」

それで殿様の第一の難題は解決したが、今度は「庭石の小さな穴に糸を通せ」といってきた。爺様は、「陽のさす明るい方の穴に泥を塗り、裏から蟻に糸をつけて通せ」と言う。

次の難題は「打(ぶ)たずに鳴る太鼓を持って来い」
「太鼓の胴に紙を貼り、熊蜂をたんといれて持って行け」と言う。隣の殿様は珍しがって紙を破ってみると、
「御殿中熊蜂だらけになって、殿様の御方さまの家来のだいじな所めがけて蜂ァじゅくり
じゅくりと刺したど。御殿中ァ、大さわぎで御殿ぶずくれるよな騒ぎ起きてすまた」

それにこりて、隣の殿様は難題を持ちかけるのをやめた。
兄の殿様は喜んで、なんでも望みどおりの褒美をやると言ったので、年寄りを山に捨てるのを改めてもらいたい、この難題を解いたのも、実はかくしておいた爺である、といい、以後、年寄りの姥捨てはなくなった。

姥捨てをテーマにした小説や映画は「楢山節考」「蕨の行」「デンデラ」と時代が変わっても消えることはない。時代は高齢化が進み、年寄りがいかに晩年を生きるかということは、さらに深刻な問題になっているのではないか。後期高齢者医療制度に見られる議論は、人間のこの永遠のテーマに答えを見出し得ない社会の不幸を如実に語っている。
コメント
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