常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

河童忌

2012年07月24日 | 日記
芥川龍之介が滝野川町田畑の自宅で、劇薬であるベロナールとジェアールを多量に服用して自ら命を絶ったのは、昭和2年7月24日の未明のことであった。以来、この日を芥川を偲ぶため河童忌といわれている。

芥川は遺書に「将来に対するぼんやりした不安」という言葉を遺して逝った。親友であった菊池寛は、芥川にはどうしても死ななければならなかった理由などない、書いている。芥川の神経が余りにか細く、世間にあるちょっとした確執を気にし、近親の不幸、自分の不眠症や胃腸病などが重なったことが理由ではないか、とも述べている。

菊池寛は、芥川と最後に文芸春秋座談会に会っているが、その別れ際の目の光を回想している。芥川には、編集や実業に携わる菊池寛を心強い存在に感じていたのではないか。死の前に2度も芥川は菊池に会いに文芸春秋を訪れている。菊池寛はそのことに気付かないまま、芥川の死の知らせを受けている。妻文子のほか、菊池寛、画家小穴隆一、叔父竹内氏に宛てた4通の遺書が残されたいた。菊池寛宛の遺書は日付が4月になっているので、この面会のころにはもうその死を決めていたのであろう。

芥川は親友である菊池寛に何を話したかったのか。いまそれを知るすべもない。
芥川の死んだ昭和2年7月24日は、未明から雨のなった。それまでは連日のように猛暑が続き、新聞は33年ぶりの暑さであると報じている。暦の上の大暑のころであるが、ここから立秋までの日々は、今年もそうだが誰もが身体がだるくなる暑さである。その暑さが、芥川の病んだ神経にダメを押したとも考えられる。
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