今日は立冬。この言葉を聞いただけで、寒さを感じる。行きつけの八百屋で、サービスに焼き芋をくれる。この季節には心憎いサービスだ。これが甘く、黄色みを帯びた半透明で、昔の焼き芋屋を思い出す。看板には「八里半」とか「十三里」と書いて掲げた。昨今の誤表示や偽装騒ぎを見ていると、昔の看板の方がユーモラスがあって楽しい。「八里半」は焼き芋の味が、栗に近いというしゃれで、「十三里」は栗より(四里)うまいという捻ったしゃれになっている。
水上勉の『土を喰う日々』に、栗の話が出てくる。家の周りの雑木林で、栗を拾って囲炉裏で焼く話だが、水上がいつまでも少年の心を失わない様子がほほ笑ましい。
「何といっても、栗は炭火のわきの灰の中で焼くのがいちばん。あらかじめ、歯で皮の一部を噛んで、少しめっくておけば、猿がヤケドをしたようにはじきはしない。しぶ皮もこげるほどに焼けたら、これを炉の石の上にならべて、指の腹でもむ。炭になった表皮もしぶ皮もぽろりととれ、、黄色い実が湯気をたてている。これを舌にころがす。焼芋屋の看板に「九里半」と書かれているのを見たが、同じ栗でも、うちの炉辺で食うのは十里の味といっておく。」
水上が見た看板は、栗以上というしゃれだろう。「ブラックタイガー」を「車えび」と書くのは、ユーモアもないうえに、嘘がばればれになっている。昔からこんなしゃれで客を引き寄せる小店があったのに、そんな知恵さえ抜き落ちてしまった百貨店商法というべきか。