杜甫は詩聖と呼ばれて詩の世界では、偉大な存在として今なお親しまれているが、その人生は決して安泰なものではなかった。安碌山の乱に巻き込まれ、官職に着いたのも束の間で、その大半は家族を連れた放浪の旅にあった。
官職についていた48歳のとき、役所の同僚と気心が通じずいやけをさし、役所の帰りには酒を飲んで帰る日々が続いた。
朝より回りて日々に春医を典し
毎日 江の頭に酔いを尽くして帰る
朝は朝廷のことで杜甫が勤めた役所。典しは質入。酒のために着ている衣さへ質草にした。まるで貧乏学生のようである。
酒債尋常 行処に有り
人生七十 古来稀なり
酒の付けはあたりまえ、行く先々に有る。もとより人生七十までは、昔からめったに生きられるものではない。杜甫はこのやけにも似た心情を吐露したあと、酔眼で見る蝶や蜻蛉、さらに自然の営みを詠んでいるが、つまるところ語り合う人のない孤独をこうして紛らわせているのだ。70歳を古稀というのは、この詩が出典となっている。
杜甫の時代は還暦をも迎えられずに死んで行く人が常であったが、翻って日本の現状はどうであろうか。今年70歳を迎えた人は132万人、その上の70代が1460万人もいる。古稀などという言葉は、この現状から見れば死語になっていい筈である。長寿の祝いは、88歳の米寿、90歳の卒寿、99歳の白寿などが主流になっていくはずだ。
こんな長寿社会が訪れようとは、杜甫はもちろんのこと、政府の官僚の想像を超えたのであろうか。この社会を維持していくには、制度も医療もできていないことがあまりに多い。