今年は気温が上がるの早かったためか、立葵の花がもう咲いた。この花は、子どものころ戸外で遊ぶときに、どこの家にも咲いていたので、そのころの記憶を呼び覚ましてくれる。実に懐かしい花である。借りた畑の地主さんが、空き地に植えたのが、今年も逞しく花の蕾を膨らましている。移植したおじいさんは、今春、病で亡くなったが、この花をみると、地主さんの思い出もよみがえってくる。
花々の前に雨ふる葵かな 皆吉 爽雨
花には、歴史がある。何気なく読んでいる句にも、時代の事情が詠みこまれている。蕪村の「なのはなや月は東に日は西に」というのがあるが、菜の花が京都を中心とする畿内で大規模に植えつけられていた。菜の花から取る灯油の需要を、江戸の大消費地が押し上げていた。それに応えるために、畿内で菜の花を広く植えつけ、和泉、河内が灯油の大生産地であった。日本中の需要の90%がこの地方で生産され、樽詰めされて消費地へと送られた。
菜の花やみな出はらひし矢橋舟 蕪村
矢橋は琵琶湖の南岸の地名である。このあたりにも広大な菜の花畑があった。
北海道の生家は、開拓で農業を営み乳牛を飼育して、畑には馬鈴薯を植えつけていた。長男は、ほかの農家と同じ事をするのを嫌う性格で、ある年菜種を植え、食用油を取ることを考えついた。小さなバラックの工場に搾油機を備え、油を取った。畑は広いといってもそれほどの規模ではなく、販売にも困難が生じて数年で借金を残して廃業した。だが、畑一面に咲いた菜の花の記憶は、葵の花ともに脳裏に残っている。
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