常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

玉切れ

2015年01月06日 | 日記


今日、今年初めての詩吟教室。先生のお宅に行くと、奥さまから「今日は寒いですね」と言われた。体感ではさほど寒くなく、むしろ温かく感じていたので、人の感じ方は随分違うものと思った。午後になって雨。やっぱりそんなに寒くない。天気予報でも、「玉切れ」という新語が飛び出していた。蓄積されている北極圏から吹き出す寒気が、12月にあまりたくさん噴出して、底をつくらしいのだ。この状態を「玉切れ」というらしい。

天気予報は、昔から見ると随分精度が上がっている。それでも、長期予報はかなりの確率で外れる。この玉切れも、本当かどうか、今後の天気の推移を見なければわからないが、そうであってくれればうれしい。だが、寒気と暖気の気温差があまり大きいと、爆弾低気圧とか季節はずれの台風とか、異常な現象を引き起こすからやっかいである。今年は、災害の少ない年であって欲しい。
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良寛

2015年01月06日 | 


幼稚園の建物の前の雪道に、象や七福神の焼き物が置かれている。小さな子どもたちが見たり、触れたりして、愛着を覚えるような可愛らしい表情を浮かべている。子どもたちとの遊びで時間を忘れた、越後の良寛和尚が崩じたのは、天保2年の正月6日のことであった。良寛には、子どもたちとかくれんぼで遊んでいるうち、鬼役であった子も、かくれ役の子も、みんな帰ってしまった後も、藁のなかでじっと隠れていたいうエピソードが残っている。手まりをついたり、かくれんぼで無心に遊びながら、貧乏な家の子どもたちに温かく接し、読み書きを教えた良寛には、いつまでも失わなかった童心があった。

子どもたちが、毎日のように良寛の庵を訪れ、遊び仲間のように振舞えたのは、良寛が持っていた童心のためであったように思う。良寛には、「手まり」の歌がある。

「冬ごもり 春さりくれば 飯乞ふと 草のいほりを 立ち出でて 里にい行けば たまほこの 道のちまたに 子どもらが 今を春べと 手まりつく ひふみよいむな 汝がつけば 吾はうたひ あがつけば なはうたひ つきてうたひて 霞立つ 長き春日を 暮らしつるかも

この里に手毬つきつつ子供らと遊ぶ春日はくれずともよし」

正月6日の申の刻、良寛は弟子の僧たちの手で上体を支えられ、座したまま静かに息を引き取った。庵の屋根に積った雪がすべり落ちる音が、しじまのなかに聞こえていた。


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