常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

冬枯

2015年12月13日 | 日記

 
埋めておいた大根3本を井戸水で洗う。手が切れるように冷たい。今日は、小雨が降りそうな空で気温は5℃、手が切れるようよに冷たいのもいたし方がない。近所の空き地の草木は、すっかりセピア色に枯れてしまった。

結びおきしひばりのとこも冬枯れてあらはれ渡る武蔵野の原 後鳥羽院

後鳥羽院といえば、平家滅亡後、安徳天皇を継いだ天皇である。中世屈指の歌人でもあった。新古今和歌集の撰進を命じたのも後鳥羽院であった。藤原定家、家隆、慈円など当代の一流歌人を撰進にあたらせたが、院自身がその撰進を指示し、歌の入れ替えを命じている。定家はこのことを切り継ぎといい、「切り継ににつぐ切り継」と日記に書き、選ばれて喜んでいる歌人の歌を捨ててしまうので、「罪深くこそはべれ」と慨嘆している。

後鳥羽院はどのような状況判断で、承久の乱を起こしたのだろうか。北条氏の振舞いに不満であった武士を糾合しようとして院宣を出したのであろうが、院が取った行動は神仏への義時調伏の祈祷であった。鎌倉の圧倒的な兵力を前になすすべもなく、隠岐へ流されることとなった。この島で後鳥羽院は、新古今和歌集の隠岐版の選集を進めた。
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