岑参という人は、玄宗皇帝の天宝8年(749)と同13年、安西(現新疆ウィグル)の都護府へ赴任している。それから、1200年も経ってこの地区の人々は、いまなおまつろわぬ民で、独立を主張している。この地区にはゴビ砂漠があり、人を寄せつけようしない辺境であった。
磧中の作 岑参
馬を走らせて西来天に到らんと欲す
家を辞してより月の両回円なるを見る
今夜知らず何れの処にか宿せん
平沙万里人煙絶ゆ
磧というのは、小石の混ざった砂、沙漠のことである。馬を西へ走らせ、余りの遠さに天に行くようだ、という表現は漢詩でなかればなかなか味わうことのできない見事な表現だ。家を出てから、満月になるのを2回見る、つまり30日が過ぎたことになる。沙漠のなかで、変化を遂げているのは月の満ち欠けのみである。平沙万里人煙絶ゆ、とはなんと西安は荒涼とした、人間を拒絶してやまない辺境なのだろう。この詩を、詩吟の教室で教わってから20年が経った。