百人一首に収められている歌は、その意味もよく吟味しないで耳慣れているが、ふとしたときその本当の意味に触れて驚くことがある。桜の花吹雪が過ぎて、桃の花やシャクナゲの花を見て季節が移ろうのを感じているとき、ふと思い出す歌がある。
花さそふ嵐の庭の雪ならで
ふりゆくものはわが身なりけり 藤原公経
すでに鎌倉幕府が開かれた時代のことである。藤原公経は、鎌倉と京都の公家を結ぶ役目を果たした人物である。作者が見ているのは、雪のように降り乱れる花吹雪である。ふりゆくものとは、年を重ねて老いていくことと、花吹雪を重ねている。
百人一首の歌の作者の感慨に心を打たれるのは、公経と同じ感慨を持つ自分がいるためである。一昨日、熊本の地震の報道のなかで、満開の桜が大風に吹かれて花吹雪となった日に、なぜか公経の歌を思い出し、年老いていく自分を振り返ってみる。人生とは、800年以上も前と、それほど変わることなく、毎年の桜を見ながら老いていくものなのだ。