常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

葉山

2016年12月29日 | 日記


今年、山の日が国民の祝日になったのを記念して、山形県が「山形県の百名山」の人気投票を実施したところ、葉山(村山市)が月山や鳥海山、蔵王山などの名山を抑えて一位になった。今年は山ノ内コースを選んでこの山を登ったこともあり、一層身近な山になった。今日は、北側の窓からこの葉山きれいに見えている。同じ方角に月山もあるのだが、葉山がきれいに見える日は貴重である。何故かこの山がきれいに見える日は少ない。知らないでいたりすると、知人が電話で「いま、葉山がきれいに見えているよ。」と教えてくれたりする。

西村直次編の『結城哀草果百首』を読んでいて、この歌人が並みでない山岳愛好家であることを知った。車もあまり走っていない時代、弟子たちに和歌を教えに通う路にも足を鍛えれていたように思う。大井沢で医者であった志賀周子のもとへは、あの細い大井沢峠を徒歩で越える。今と違って蔵王へ登るにしても、集落から蔵王温泉を経て、山道へ徒歩で入った時代だ。

七十三年の生甲斐ありて三〇一五米立山頂上に立つは冥加ぞ 哀草果

歌人の庭時孝剣賢は、「生命体である人間が、大宇宙の脈拍を直感的に感受し、それを素直に詠嘆し吐露されている」と難しく解釈している。もっと素直に、73歳という人生の晩年に、この足で名峰立山に登れたことの感動、それを神仏の加護のおかげであると解釈するべきではないか。哀草果は旅や高山に登ることによって、自らの歌の境地を広げて行った歌人である。

私もこの年になるまで山に登ることができるのは、天に授かった健康である。身体の許す限り、もう少し山に触れていきたい。もっとじっくりと腰を落ち着けて、山にいる一瞬、一瞬を大切にして行きたい。
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