部屋のなかで音がしている。聞きなれない音だ。よく見ると、障子に羽ばたくトンボの翅の音であった。近づている台風のため、風が強くなっている。トンボは、注意して見ていると、風を避けて、物陰の地面に止まっている。部屋のなかに入ってきたのは、風を避けてのことであろうか。そっと手にとり、玄関に置いてあるスミレの葉に乗せた。葉に止まって安心したのか、羽ばたきをやめて、じっとそこに止まっている。スマホを取り出して、その様子を撮ってみた。翅のせん端は茶色の紋があるが、それ以外は透明であった。小さな命が愛おしかった。
宮沢賢治に『春と修羅』という詩集がある。出版社は、これを詩集として出したかったのだが、賢治はそれを拒み、詩にかわって「心象スケッチ」という言葉を使った。その表題は『春と修羅』である。どのような考えで、賢治は表題に修羅という言葉を入れたのであろうか。それは、それこそ賢治の心象のなかにある。あの「よだかの星」のよだかのように、かなしさの世界の住人として、自らを見ていたのかも知れない。「心象スケッチ」と題してあるだけに、その意味を捉えるのは難しい。一篇だけ、私にも読みとることできるものがあった。題して「馬」。命を哀惜する心情が、痛いほどに読みとれる。
いちにちいっぱいよもぎのなかではたらいて
馬鈴薯のやうにくさりかけた馬は
あかるくそそぐ夕陽の汁を
食塩の結晶したばさばさの頭に感じながら
はたけのへりの熊笹を
ぽりぽりぽりぽり食ってゐた
それから青い晩が来て
やうやく厩に帰った馬は
高圧線にかかったやうに
にはかにばたばた云ひだした
馬は次の日冷たくなった
みんなは松の林の裏へ
巨きな穴をこしらへて
馬の四つの脚をまげ
そこへそろそろおろしてやった
がっくり垂れた頭の上に
ぼろぼろ土をやった
みんなもぼろぼろ泣いてゐた(1924・5・22)