常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

トンボ

2019年08月16日 | 日記

部屋のなかで音がしている。聞きなれない音だ。よく見ると、障子に羽ばたくトンボの翅の音であった。近づている台風のため、風が強くなっている。トンボは、注意して見ていると、風を避けて、物陰の地面に止まっている。部屋のなかに入ってきたのは、風を避けてのことであろうか。そっと手にとり、玄関に置いてあるスミレの葉に乗せた。葉に止まって安心したのか、羽ばたきをやめて、じっとそこに止まっている。スマホを取り出して、その様子を撮ってみた。翅のせん端は茶色の紋があるが、それ以外は透明であった。小さな命が愛おしかった。

宮沢賢治に『春と修羅』という詩集がある。出版社は、これを詩集として出したかったのだが、賢治はそれを拒み、詩にかわって「心象スケッチ」という言葉を使った。その表題は『春と修羅』である。どのような考えで、賢治は表題に修羅という言葉を入れたのであろうか。それは、それこそ賢治の心象のなかにある。あの「よだかの星」のよだかのように、かなしさの世界の住人として、自らを見ていたのかも知れない。「心象スケッチ」と題してあるだけに、その意味を捉えるのは難しい。一篇だけ、私にも読みとることできるものがあった。題して「馬」。命を哀惜する心情が、痛いほどに読みとれる。

いちにちいっぱいよもぎのなかではたらいて

馬鈴薯のやうにくさりかけた馬は

あかるくそそぐ夕陽の汁を

食塩の結晶したばさばさの頭に感じながら

はたけのへりの熊笹を

ぽりぽりぽりぽり食ってゐた

それから青い晩が来て

やうやく厩に帰った馬は

高圧線にかかったやうに

にはかにばたばた云ひだした

馬は次の日冷たくなった

みんなは松の林の裏へ

巨きな穴をこしらへて

馬の四つの脚をまげ

そこへそろそろおろしてやった

がっくり垂れた頭の上に

ぼろぼろ土をやった

みんなもぼろぼろ泣いてゐた(1924・5・22)

コメント
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