常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山靴

2019年09月10日 | 日記

30年ほども愛用してきた皮の山靴に別れるときがきた。皮の部分には問題ないのだが、底に何層にも貼ってあるゴムの接着が剥がれ、隙間が空いてしまった。30年来、初めて見る状態であったので、慌てて修理屋さんへ駈け込んだ。修理屋さんが言うには、全部剥いで見ないと分からないが、根幹の部分がやられていなければ、修理も可能とのこと。仲間の一人が言った。新しい靴を買うの?言外に、それほど長く歩けないのに、もう買わなくてもいいのでは。という意味も込められている。

結論は修理代ほどで買えるモンベルの新型である。ツオロミブーツワイド。防水性と通気性に優れた素材を使った優れものである。ソールも特殊な合成ゴムでできていて滑りにくいという特性もある。耐久性を聞いたところ、店長の話では5年はもつということであったので、自分のこれから山登りでは十分な長さのうようにも思える。しかし、長く愛用してきた皮の山靴にはいまだに愛着がある。皮は自分の足に馴染んで、形を保ってくれるので、いつまでも履き心地がいい。その上、最近仲間に入った人が靴を見て、こんな靴を履いている人はもういない、と褒めてもらったので、しっかり手入れをして履き続けようと思った矢先だったのでなおさらである。

山靴の音 芳野満彦

耳を澄ましてごらん

・・・ほら ね ね・・・

何処からか

古い記憶の

山靴の音が

聴こえてくる

ほら 僕の全身に

浸透わたるように・・・

 

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十日の菊

2019年09月10日 | 日記

昨日、重陽の節句。酒に菊の花びらをうかべて飲むと、健康にいいらしい。9月9日の節供は菊が主役だ。しかし、畑で育てている菊は、まだ小さな蕾である。菊が見事な花を咲かせるには、も少し気温が低くなって、秋らしくならねばならない。ところで、「十日の菊」という言葉をご存知だろうか。これは節供に間に合わなかった菊という意味である。同じような意味で「六日の菖蒲」という言葉も使われる。

三島由紀夫の戯曲に「十日の菊」という戯曲がある。このドラマには、奥山菊という女性が登場する。戦争中のクーデターで蔵相の森重臣を身体を張って救った女性だ。事件から16年も経った日に森邸を菊が訪ねてくるという設定になっている。三島はこの戯曲を書くにあたって、重陽の節句を意識している。女中の名が菊であるというのもいかにも意味深である。

杜甫の名詩「登高」が懐かしい。「無辺の落木は蕭々として下ち 不尽の長江は滾滾として来る 万里悲秋常に客となり 百年多病独り台に登る」小高い丘に登るのは、家族が揃って重陽の節句を祝うためである。そこで菊酒を飲み、お互いの健康長寿を祈った。杜甫はそんなことも叶わず、独りで丘に登って親兄弟を思い出しているのである。

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