有島一郎に『一房の葡萄』という童話がある。ネットが普及した時代の幸せは、この名作童話を瞬時に検索し、パソコンの画面で読むことができることだ。散歩しながら、偶然に撮ったたわわな葡萄。これにまつわる面白い話がないかと、探していた。そして出会ったのが、青空文庫に収められている『一房の葡萄』である。
この話の主人公は、横浜の山の手に住む小学生だ。絵を描くのが好きで、外国の船が泊っている港へ出かけてスケッチした。海に浮かんだ船には万国旗が掲げられ、目が痛くなほどの美しい景色だった。スケッチに色をのせていくのだが、どうしても実物との差があり、上手の描けないのを悩みとしていた。学校にはたくさんの外国の生徒がいた。彼らも絵を描くのだが、スケッチの技術では、主人公が敗けているとは思えなかった。ただ、彼らが持っている絵具が素晴らしかった。
同じ教室にジムという子がいた。主人公より二つほど年上で、背も見上げるほど高かった。ジムの持っている絵具の藍と紅がびっくりするほど美しい色であった。それほど上手でもないスケッチに、この絵具をのせると見違えるような絵になった。それを知ってからというもの、主人公はその絵具が欲しくてたまらなくなった。話を進めよう。主人公の僕の頭は、絵具のことでいっぱいになり、何も考えないままジムの机の引き出しを開けて、藍と紅の二本の絵具を盗んでしまう。
絵具が無くなったことが分かると、疑いは一人教室に残っていた僕にかかり、ポケットに入っていた絵具を見つけられてしまう。僕は悲しくなって泣いてしまった。クラスの先生は、外人の美しい女性で、僕が大好きな先生だった。級友に連れられて、職員室の先生の前に連れていかれた。先生はみんなを帰して、泣いている主人公の向き合った。先生は「もう絵具は返しましたか」とうなずく僕に、「あなたは自分のしたことをいやなここと思っていますか」と聞いた。それを聞いて、身体が震え、目からはとめどない涙が流れて。
先生は窓を開けて、生っている一房の葡萄をとると僕の手に渡し、「もう泣かなくてよろしい。次の授業の時間は、これを食べてここにいなさい」というと、授業のためクラスへ行ってしまった。僕は、もちろん葡萄も食べられず、職員室でしくしくと泣いていた。クラスから戻って来た先生は、明日は学校を決して休んだりしないで。登校するように約束して、言った。あくる日、僕はクラスのみんなからどんな扱いを受けるか心配で学校に行く気になれなかった。先生との約束を思い出して、やっとの思いで学校へ出かけた。
校門で待っていたのはジムだった。僕を見つけると飛んできて、僕の手をとり、真直ぐに職員室の先生のところへ連れて行った。先生はそこで、二人に仲直りの握手をさせ、窓から一房の葡萄を採り、ハサミで半分に切って二人に渡した。僕はその嬉しさを何と表現していいか、分からず恥ずかしそうに笑うだけでした。ただその時の先生の手の葡萄を持った手の美しさが、いつまでも記憶に残った。
青空文庫では、わずか十数分で読める短いものだが、終りの方になると、主人公の涙が自分の方にまで伝わり涙ぐんでしまった。本を読んで、感動的な場面になると、泣く癖がついてしまった。傍にいる妻には知られたくないのだが、いつのまにか察知して「また泣いたの?」と声をかけてきた。