常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

センニンソウ

2021年09月05日 | 日記
花の名にあまり興味がなかった。無数にある花の名を覚えたところで意味があるのか。どうせそのうちに忘れてしまうだろう、くらいの気であった。ブログを書くようになって、散策しながら写真をとることが多くなり、名前を知りたくなった。花を書くブログを拝見しても自由に花を名を書かれていて羨ましくもある。花の辞典や、グーグルカメラで検索する機会も増えた。しかし、一度検索してもしばらく経つとやはり忘れてしまう。花の通にはなれそうもない。

散歩をしながら、珍しい花にあったとき、どうしても名を知りたい花がある。昨年、公園で見たマロニエ。歌にまで歌われている花であったことを知ることは感動である。つい先日見かけた風蝶草、クレオメも衝撃的であった。北海道に住む方から、当地でもクレオメが咲いたことを知らせてくれた。花の名を媒介にして、メールでお話できる機会も生まれる。

昨日見たセンニンソウも名を知りたくなった花である。グーグルレンズでは何と、センニンソウ。実をつけると、仙人のような長い髭を垂らすらしい。テッセンの仲間でクレマチスともいう。トケイソウやカザグルマも仲間だから、それほど珍しくないのかも知れない。但し、センニンソウの花期は8月から9月で、野山に自生しているという。こうして、つい忘れてしまう花の名を身につけることは、自らの心の生活を豊かにするような気がする。

窓に咲いたダーリア。
窓から入って来る蝶。
私の眺めている雲、高い雲。 (三好達治「測量船」)

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秋の色

2021年09月05日 | 日記
9月に入って季節の移ろいが唐突に感じる。晩夏は花はないが、シュウメイギクやコスモスがあっという間に秋の色を演出する。その草陰から、コウロギの鳴き声がしきりに聞こえてきた。明治の文豪、国木田独歩の『武蔵野』が懐かしい。独歩が歩きながら見たのは、武蔵野の雑木林の秋だ。

「楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨がささやく。凩が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。木の葉落ち尽くせば、数十里の方域に亘る林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高く此の上に垂れ、武蔵野一面が一種の鎮静に入る。空気が一段と澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞こえる。鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢の蔭、林の奥にすだく虫の音、空車、荷車の林をめぐり、坂を下り、野路を横ぎる響」

秋という季節を通して歩くことで得られた武蔵野風景である。風の音ひとつにしても、その強弱によってこれほど多彩に表現される。自分の歩く狭い町内の道には、シュウメイギクや赤い木の実、コスモス、萩の花、ハナトラノオなどの秋の風景に過ぎないが、それでも秋を身近に感じられる幸せがある。
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