芸工大で卒業制作展が始まった。キャンパスにある駐車場は満杯で、学生さんが満車の看板を持って駐車場の前で案内していた。コロナ感染が広がっているせいか、見学に来る人の姿はまばらだ。裏の悠創の丘は、芝生の上にいっぱいの雪。橇遊びの家族も二組ほどしか見えない。この雪が融けるまで、春の陽気が1週間は必要な気がする。冬型の気圧配置は衰えることなく、雪マークの日が続いている。コロナ禍の2年間、対面授業も制限された学生さんたちは、卒業制作まで辿り着いたが、どんな知識を血肉化したのであろうか。人は学生時代にだけ学ぶのではない。江戸時代の学者、佐藤一斉は死に瀕しても息のあるかぎり学ぶべし、と説いている。
耋録15
学を為すの初めは、固より当に有字の書を読むべし。学を為すこと之に熟すれば、即ち宜しく無字の書を読むべし。 (佐藤一斉『言志四録』)
字の無い書とは、天地自然の理法、社会の実態、人情の機微など。つまり社会に出てから読むべきものである。学生時代に培った知識を普遍して、自然の姿や人間関係のなかで学ぶべきことを説いている。本来の学びは、卒業してから深まっていく。学びには卒業などというものはなく、年老いてなお学び続けることを説く先人の言葉を噛みしめるべきである。